メディアとしてのインターネットの得手・不得手

 「マル激300回記念特別番組 2006年これだけは言わせろ!」の狙いは、私の理解が間違っていなければ、今のところまだ裏メディアに留まっているインターネットが、表メディア(要するに、テレビ・ラジオ)の究極の形である生放送という点で、表メディアのお株を奪うことができるか、できるとすればどの程度まで可能かというのを探るという点にあったのではなかろうか。そうだとすれば、その試みは、成功したとは言いがたいように思われる。もちろん、今後二度とこういうことはやるななどとは言うまい。しかし、生放送をやるとしても、やり方はもっといろいろあるだろう。例えば、チャットを使って、読者が送ってくるメールを即座に画面上に映し出すといったことで、表メディアでもこういうことをやっている番組は既にある(BS1で放送されている香港の討論番組など)。


 この関連で、改めてここで、メディアとしてのインターネットの得手・不得手を考えてみるのは好機かもしれない。不得手の方から言えば、一どきに相手にできる人数という点では、インターネットはここで言う「表メディア」には遥かに劣ると言ってよいだろう。インターネット上でつねに問題になるサーバーの容量という点は表メディアでは全く問題にならないからである。方式が違うのだから。このことは、何もビデオニュース・ドットコムのような弱小資本に限られる話ではないだろう。当たり前の話だが、ともあれ確認しておいてよい点ではある。


 得手はと言えば、インターネット上ではまず、字数制限や時間の制限を気にしなくよい。この点は最近痛感するが、例えば同じ新聞社でも、紙面に出る記事よりインターネット上の同じ見出しの記事の方が詳しいことは日常茶飯事である。また、時間の制限がないことは、つね日ごろマル激の散漫な番組作り(「散漫」とはもちろん、相対的の意味で言っているのである)を見ている者には周知である。もちろん、番組を作る側は、同じことを伝えるのに可能なかぎり短い時間を以てするようにつねに努力するべきだが、それはここで言っていることとは別次元の問題である(文章を書く人間が、同じことを言うのになるべく短い文章を書くよう心がけるべきことと同じ話)。


 もう1つの長所は、もとよりこれも周知だが、古いものが見られるという点、すなわちアーカイヴ機能である。これに関しては、またサーバーの容量が問題になると考える向きもあるかもしれないが、私の誤解でなければ、アーカイヴ機能に関してはサーバーの容量の問題はそれほど深刻な問題ではないと思われる。すなわち、当の古いものを見たい者のために、インターネットに常時つながっているパソコンの中にデータを入れておき、Winnyか或いはそれに類するソフトによってそのつながっているパソコンの中のデータが検索できるようにしておけば、アーカイヴとしての役目は果たせるのではなかろうか。これに関しては、或いはまだ技術的な問題があるのかもしれないが、ともあれ、でっかい放送局と高ーいテレビ塔などというものとは無縁な身軽さこそが、インターネットの身上であるはずである。このあたり、考えればもっといろいろな長所が見えてくるような気もするが、しかし他方、結局はオン・ディマンドというところに尽きているということなのかもしれない。


 大したことのない結論に逢着してしまったようだ。まあ、私自身の問題ではないので、いいかとも思うが。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。