「マル激」にいつも感じるちぐはぐさ

 「マル激」を見ていつも感じるちぐはぐさが、今回もまた表に出ていた・・・これが、第299回のマル激トーク・オン・ディマンド<今年残された課題 2006年総集編>を見て思ったことである。ちぐはぐさの由来はもちろん明らかで、片や、生真面目に政治を批判しメディアを批判しようとする神保氏と、片や、斜に構えて政治を見、もはや一般民衆に大して期待せず、むしろ民衆を動員・操作の対象として見る見方になずんでしまっている宮台氏(社会を研究する学問−−そのもたらす知識は、定義上、社会を操作することにかかわる知識以外ではありえない−−に携わる社会科学者が、こういう見方をするのは当然だ、とも言えようが)とのやりとりは、どうしても、ちぐはぐになるほかはないのである。


 想像にすぎないが、現在の「マル激」の視聴者の主要部分は、比較的若い世代、大学の文科系出身で(大学院レベルの人々も少なからずいるのではなかろうか)、どちらかと言えば宮台氏の発言に惹かれて視聴者となるに至った人々ではないかと思われる。ただ、番組で面白かった(もちろん、私自身にとって面白かった、ということだが)回のテーマ選びを行なったのは、どちらかと言えばむしろ神保氏の方ではないかと思われる。例えば、宮台氏が呼んできたに相違ない漫画家の江川氏の回などは、実につまらなかった。これは何を意味するかと言うことだが、少なくとも私にとっては、いくら宮台氏が博覧強記であっても、番組を何度か見れば氏の言っていることは大体わかり、残念ながら以後は、氏の発言それ自体にはあまり面白味は感じられない。しかも、政治を斜に構えて見る宮台氏にとって、既に政治はあまり面白くないこととなっているため、それに関して面白いテーマが氏のアンテナには引っかからなくなってきているのではあるまいか。宮台氏の強みはもともと社会・文化の批評にあるわけで、その点ではまだまだ面白いものを氏は持っておられるのだろうが、マル激は基本的に政治をテーマとしており(そして、ビデオニュース・ドットコムが既存メディアとの違いを最も鮮明に出すためにふさわしい分野は、やはり政治だと思われる)、そのため氏の持ち味が出しにくくなってきている。そんな印象を受けるのである。


 総集編の最後の方で、来年には新企画が登場するとの話が出ていた。既に決まっているのだろうが、一視聴者として勝手なことを言わせてもらえれば、ここいらで、政治評論は宮台氏以外の人に任せた方が良いのではなかろうか(但し、遺憾ながら『永田町コンフィデンシャル』の角谷浩一氏は選外)。以前話に出ていた御厨教授はどうなっているのだろうか。他方、宮台氏には、社会・文化の批評を存分にやってもらう番組のメインになってもらうと良いのではなかろうか。宮台氏が好き勝手にゲストを呼んで、1−2時間放談する番組は、なかなか破天荒で良いと思う。ただ、こういうのは、いつまで新鮮さを保てるかが問題なのだろうが。