敗北を噛みしめて−−理念の重要性

 さまざまな人の願い・怒りも空しく、教育基本法改悪案が議会を通過してしまった。現行教育基本法を守ろうとした人々の完全な敗北である。


 言うまでもないが、「敗北」を「敗北」と認識することそれ自体は、敗北主義でもなんでもない。敗北主義とは、まだ事が終わっていないのに努力の手を緩めてしまうことであり、例えば今回の教育基本法改正をめぐる動きで言えば、伝えられるところによれば、参議院民主党の対応が敗北主義的だったと言うべきである(正確には、参議院民主党執行部の対応、と言うべきだろう・・・教育基本法特別委員会の委員をしていた民主党議員たちがすべて敗北主義的だったわけではないから)。後々の資料のために、記事から一部引用しておくと、
<改正教育基本法:「成立阻止」の野党共闘が崩壊>
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20061216k0000m010078000c.html

 野党4党は14日の幹事長・書記局長会談で、同法の成立阻止へ「あらゆる手段を講じる」ことで合意。民主党鳩山由紀夫幹事長は会見で「(参院の問責も)当然含まれる」と述べていた。
 ところが、15日の参院国対委員長会談で民主党伊吹文明文部科学相の問責決議案だけを提出するよう主張。首相問責については「すでに衆院の内閣不信任案で党の意思を示している」との理由で拒否した。国民新党は首相問責決議案の共同提出に加わらなかったが、会談では提出を主張した。
 民主党内も内閣不信任案を提出した衆院側が、参院執行部に首相問責提出で同調するよう求めて拒否される混乱ぶり。参院議院運営委員会の理事会で与党が首相問責決議案の採決見送りを主張したのに民主党理事が異を唱えなかったことにも共産、社民が反発。衆院側では高木義明国対委員長が代議士会で「彼ら(参院側)は言うことを聞かない」と嘆いた。

 参議院民主党ができる限りの努力をしなかったことは、どうでもよい問題では決してない。もし民主党が最善を尽くしたなら、教育基本法改正は今国会では継続審議に追い込めたかもしれないからである。参議院民主党には説明責任がある。


 また、これは噂だが、今回の教育基本法改正に関しては、衆議院民主党の筆頭理事の中井洽氏が実は与党に抱きこまれており、その結果衆議院での野党の抵抗が不十分だったとの話もある。これもまた、事実ならば看過できない話である。中井氏は、与党に対抗するべき民主党の中で与党への内通者の役割を果たした疑いがある。


 そもそも民主党は、教育基本法改正との関連では、よせばいいのに早々と「対案」を出すことによって、教育基本法審議の焦点をばかすのに見事に貢献してしまった。これが(先の通常国会から始まった)今回の審議との関連で最大の誤りだったと言ってよく、それは、民主党の寄り合い所帯たる性格が露呈した結果だったのだろう。


 但し、言うまでもなく、今回教育基本法改悪が実現してしまったことの主たる責任は、民主党にではなく与党、すなわち自民党公明党に、そしてその与党を先の選挙で支持した有権者にあるのである。この点はゆめゆめ間違ってはならない。


 ともあれ、敗北は敗北として直視する必要がある。敗北を噛みしめ、悔しさを身にしみて感じ、それを今後の活動のエネルギーに変えるためにである。



 ところで、今回の審議を通じて何を学ぶべきだろうか。思うに、日本人は今一度、理念というものの重要さに思いを致すべきなのではないか。


 改めて言うまでもなく、1947年に公布された教育基本法は、個人の尊厳の尊重という理念に見事に貫かれていた。民主主義が健全に機能するためには、個々の主権者が自らの意見をしっかり持ち、かつそれを表明できるようでなければならない。そのためには個人の確立が絶対に不可欠である。そのような観点から、1947年公布の教育基本法は構想・制定された、と言って大過ないだろうと思われる。(なお、この点に関連して参考までに、末尾の「資料編」の(8)に横路現衆院副議長の文章を掲げておくことにする。)そして、個人の尊厳を尊重する立場から、教育に対する国家権力の不当な介入を制限する条項が付け加えられていたこともまた、周知と言えよう。


 付け加えるなら、下記(6)の記事で指摘されているように、教育基本法を制定すること自体は当時の日本人の主体的活動に基づくものだった。下記(5)の記事の桜井よしこ女史が言っているような、「教育基本法は占領下で、日本人が完全な主権を持たない時代に作られた」などという理解は、全く根拠がなく、発言者の不見識を露呈していると言ってよい。


 そして、たびたび語られてきたように、個人の尊厳の尊重というこの理念は少しも古びていない。それどころか、いじめの問題に対処するためにも、さらには、日本で民主主義が健全に機能するためにも、個人の尊厳の尊重の重要性はますます大きくなっている。「日本で民主主義が健全に機能するために」ということとの関連で言えば、今の日本では、例えば新聞の投書欄において現役のサラリーマンが投書をすることはごくたまにしか見られない。会社に遠慮してか、その他どのような理由でかは、我々各々が自分の胸に手を当ててみればわかることだが、ともあれ、現に今社会の中で働き、以て社会を日々再生産しつつある人間が社会に対してものを言わない(言えない)現状は、どう見ても健全でない。


 これに対して、このほど成立した新教育基本法の理念は何だろうか。その中に見られる高邁な思想は、比較すれば明らかなように、1947年公布の教育基本法からのパクりである。「パクりでも、とにかく残っているのだから良いではないか」と言われるだろうか。ところが、残念ながらそうは言えない。まず、新教育基本法は言葉数が多い。言わずもがなのことが書かれている。例えば、家庭教育に関する第10条は、全く「大きなお世話」である。また、大学に関する第7条も全く余計であって、1947年公布の教育基本法で言われている「学問の自由を尊重し」で既に足りている。


 そして、新たに付け加わったところを見ていくと、第16条に見られるように、国家の統制が強くなっている。また、第9条の「養成と研修の充実」という言葉に見られるように、教員に対する圧力ははっきり強まっている。したがって明らかに、新教育基本法は「竹に木を接いだ」と評すべき代物なのである。言い換えれば、理念の欠如こそが新教育基本法の特徴であると言わざるをえない。その中ではっきりしているのは、国が教育振興基本計画を策定し、それを地方に下ろし、地方はそれに基づいて計画を立てるという上意下達の図式である。個人の確立が未だしなのに、お上に従順に従えという方式を強化することは、果たして日本の民主主義のためになるだろうか。答えは、言うまでもなく否である。


 今後さらに教育関連の法改正が続くこととなろうが、これに対して、個人の尊厳の尊重という1947年公布の教育基本法の理念を掲げ続けることこそが、新教育基本法成立に反対した者の務めではないだろうか。


 理念の重要性はこれだけにとどまらないが、書くと長くなるので、いったんここで区切りとする。


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 以下は資料編。まず、教育基本法改正に触れた各紙の社説のうち、注目に値するものから。


(1)2006年12月16日づけの東京新聞の社説
<行く先は未来か過去か−−教育基本法59年ぶり改定>
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20061216/col_____sha_____001.shtml

 教育基本法が五十九年ぶりに改定された。教育は人づくり国づくりの基礎。新しい時代にふさわしい法にとされるが、確かに未来に向かっているのか、懸念がある。
 安倍晋三首相が「美しい国」実現のためには教育がすべてとするように、戦後日本の復興を担ってきたのは憲法教育基本法だった。
 「民主的で文化的な国家建設」と「世界の平和と人類の福祉に貢献」を決意した憲法
 その憲法の理想の実現は「根本において教育の力にまつべきものである」とし、教育基本法の前文は「個人の尊厳を重んじ」「真理と平和を希求する人間の育成」「個性ゆたかな文化の創造をめざす」教育の普及徹底を宣言していた。
■普遍原理からの再興
 先進国中に教育基本法をもつ国はほとんどなく、法律に理念や価値を語らせるのも異例だが、何より教育勅語の存在が基本法を発案させた。
 明治天皇勅語は皇民の道徳と教育を支配した絶対的原理。日本再生には、その影響力を断ち切らなければならなかったし、敗戦による国民の精神空白を埋める必要もあった。
 基本法に込められた「個人の尊厳」「真理と正義への愛」「自主的精神」には、亡国に至った狭隘(きょうあい)な国家主義軍国主義への深甚な反省がある。より高次の人類普遍の原理からの祖国復興と教育だった。
 一部に伝えられる「占領軍による押しつけ」論は誤解とするのが大勢の意見だ。のちに中央教育審議会に引き継がれていく教育刷新委員会に集まった反共自由主義の学者や政治家の熟慮の結実が教育基本法だった。
 いかなる反動の時代が来ようとも基本法の精神が書き換えられることはあるまいとの自負もあったようだ。しかし、改正教育基本法は成立した。何が、どう変わったのか。教育行政をめぐっての条文改正と価値転換に意味が集約されている。
■転換された戦後精神
 教育が国に奉仕する国民づくりの手段にされてきた戦前の苦い歴史がある。国、行政の教育内容への介入抑制が教育基本法の核心といえ、一〇条一項で「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」となっていた。
 国旗・国歌をめぐる訴訟で、東京地裁が九月、都教育委員会の通達を違法とし、教職員の処分を取り消したのも、基本法一〇条が大きな根拠だった。各学校の裁量の余地がないほど具体的で詳細な通達を「一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制する『不当な支配』」としたのだった。不当な支配をする対象は国や行政が想定されてきた。
 これまでの基本法を象徴してきた「不当な支配」の条文は、改正教育基本法では一六条に移され「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と改められた。
 政令や学習指導要領、通達も法律の一部。国や行政が不当な支配の対象から外され、教育内容に介入することに正当性を得ることになる。この歴史的転換に深刻さがある。
 前文と十八条からの改正教育基本法は、新しい基本法といえる内容をもつ。教育基本法の改定とともに安倍首相が政権の最重要課題としているのが憲法改正だが、「新しい」憲法と「新しい」教育基本法に貫かれているのは権力拘束規範から国民の行動拘束規範への価値転換だ。
 自民党の新憲法草案にうかがえた国民の行動規範は、改定教育基本法に「公共の精神」「伝統と文化の尊重」など二十項目以上の達成すべき徳目として列挙されている。
 権力が腐敗し暴走するのは、歴史と人間性研究からの真理だ。その教訓から憲法憲法規範を盛り込んだ教育基本法によって権力を縛り、個人の自由と権利を保障しようとした立憲主義の知恵と戦後の基本精神は大きく変えられることになる。
 公共の精神や愛国心は大切だし、自然に身につけていくことこそ望ましい。国、行政によって強制されれば、教育勅語の世界へ逆行しかねない。内面への介入は憲法の保障する思想・良心の自由を侵しかねない。新しい憲法や改正教育基本法はそんな危険性を内在させている。
■悔いを残さぬために
 今回の教育基本法改定に現場からの切実な声があったわけでも、具体的問題解決のために緊急性があったわけでもない。むしろ公立小中学校長の三分の二が改定に反対したように、教育現場の賛同なき政治主導の改正だった。
 現場の教職員の協力と実践、献身と情熱なしに愛国心や公共の精神が習得できるとは思えない。国や行政がこれまで以上に現場を尊重し、その声に耳を傾ける必要がある。
 安倍首相のいう「二十一世紀を切り開く国民を育成する教育にふさわしい基本法」は、同時に復古的で過去に向かう危険性をもつ。改定を悔いを残す思い出としないために、時代と教育に関心をもち続けたい。


(2)2006年12月15日づけ西日本新聞の社説
<「禍根を残す」は杞憂だろうか 教育基本法の改正>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/column/syasetu/20061215/20061215_001.shtml

 「戦後」という時代の1つの転換点となるのだろうか。
 「教育の憲法」と呼ばれ、戦後教育を理念的に支えてきた教育基本法の改正案が、14日の参院特別委員会で可決された。参院本会議で採決され、成立する運びだ。
 1955年に保守合同で誕生した自民党は、この法律の改正を結党以来の悲願としてきた。歴代の首相が改正を志し、模索しては挫折してきた経緯を考えると、大願成就といえるだろう。
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱え、「戦後生まれの初の総理」を自任する安倍晋三首相の政権下で改正が実現することに、政治的な潮目の変化を読み取ることも、あるいは可能なのかもしれない。
 しかし、戦後のわが国にとって「歴史的な」という形容すら過言ではない法律の改正であるはずなのに、国民が沸き立つような期待感や高揚感を一向に共有できないのは、なぜだろう。
 「今なぜ、基本法を改正する必要があるのか」「改正すれば、わが国の教育はどう変わるのか」。こうした国民の切実な疑問が、残念ながら最後まで解消されなかったからではないか。
 政府や与党は、過去の重要法案に要した審議時間に照らして「審議は尽くした」と主張する。だが、ことは憲法に準じる教育基本法の改正である。
 幅広い国民的な合意の形成こそ、不可欠な前提だったはずだ。私たちは、そのことを何度も繰り返し主張してきた。国民の間で改正の賛否はなお分かれている。政府・与党が説明責任を十分に果たしたとも言い難い。
 教育は「国家100年の大計」である。その基本法を改めるのに「拙速ではなかったか」という疑義が国民にわだかまるようでは、将来に禍根を残さないか。改正が現実となる今、それが何よりも心配でならない。
 現行法は終戦間もない1947年3月に施行された。「われらは、さきに、日本国憲法を確定し」という書き出しの前文で始まり、憲法で定める理想の実現は「根本において教育の力にまつべきものである」と宣言した。
 教育勅語に基づく戦前の軍国主義教育に対する痛切な反省と断固たる決別の意識があったことは明らかだ。
 だが、「個人の尊厳」や「個人の価値」を重視するあまり、社会規範として身に付けるべき道徳の観念や公共心が軽視され、結果的に自己中心的な考えが広まり、ひいては教育や社会の荒廃を招いたのではないか。そんな改正論者の批判にもさらされてきた。
 改正教育基本法は、現行法にない「愛国心」を盛り込み、「公共の精神」に力点を置く。「個」から「公」へ軸足を移す全面改正ともいわれる。
 愛国心が大切だという考えは否定しない。公共の精神も大事にしたい。しかし、それらが教育基本法に条文として書き込まれると、国による教育の管理や統制が過度に強まることはないのか。時の政府に都合がいいように拡大解釈される恐れは本当にないのか。
 「それは杞憂(きゆう)だ」というのであれば、政府は、もっと丁寧に分かりやすく国民に語りかけ、国会も審議を尽くしてもらいたかった。
 折しも改正案の国会審議中に、いじめを苦にした子どもの自殺が相次ぎ、高校必修科目の未履修や政府主催の教育改革タウンミーティングで改正論を誘導する「やらせ質問」も発覚した。
 一体、何のための教育改革であり、教育基本法の改正なのか。論議の手掛かりには事欠かなかったはずだ。
 にもかかわらず、「100年の大計」を見直す国民的な論議は広がらず、深まりもしなかった。
 むしろ、教育基本法よりも改めるのに急を要するのは、文部科学省教育委員会の隠ぺい体質や事なかれ主義であり、目的のためには手段を選ばないような政府の姑息(こそく)な世論誘導の欺まんだった‐といえるのではないか。
 現行法は国を愛する心や態度には触れていないが、第1条「教育の目的」で「真理と正義」を愛する国民の育成を掲げている。政府や文科省教育委員会は、そもそも基本法のこうした普遍的な理念を理解し、率先して体現する不断の努力をしてきたのか、とさえ疑いたくなる。
 教育基本法の改正は、安倍首相が公言する憲法改正の一里塚とも、布石ともいわれる。
 「連合国軍総司令部の占領統治下で制定された」「制定から約60年も経過し、時代の変化に応じて見直す時期にきた」といった論拠でも共通点が少なくない。
 しかし、法律の本体よりむしろ、占領下の制定という過程や背景を問題視するのであれば、最終的に反対論や慎重論を多数決で押し切ろうとする今回の改正もまた、「不幸な生い立ち」を背負うことにはならないのか。
 永い歳月が経過して環境も変わったから‐という論法にしても、「100年の大計」という教育の根本法に込められた魂に照らせば、「まだ約60年にすぎない」という別の見方もまた、成り立つのではないか。
 教育基本法の改正が性急な憲法改正論議の新たな突破口となることには、強い危惧(きぐ)の念を抱かざるを得ない。
 「教育の憲法」の改正は、本当に脱却すべき戦後とは何か‐という重い問いを私たち国民に突きつけてもいる。


(3)2006年12月16日づけの毎日新聞社社説
<社説:新教育基本法 これで「幕」にしてはいけない>
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061216k0000m070157000c.html

 教育基本法改正案が成立した。なぜ今改正が必要なのか。私たちは問いかけてきたが、ついに明確にされないまま国会は幕切れとなった。「占領期の押しつけ法を変える」ことが最大の動機とみるべきなのか。そうだとすれば「教育」が政治利用されたことになる。
 だが法として成立する以上、全国の教育現場はこれと向き合う。まず公共心や国の権能を重視する改正法の特徴の一つは「教育の目標」だ。5項に整理して徳目を列記し「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度」を盛り込む。子の教育は保護者に第一義的責任があると明記し、生涯学習や幼児期の教育の必要性も説く。そして全体的な教育振興基本計画を国が定め、地方公共団体はこれを見ながら施策計画を定めるという。
 個別の徳目や親の責任などは自然な理想や考え方といえるだろう。ただ、列記しなくても、これらは現行法下の教育現場でも否定されてはいない。授業や生活を通じて学び取っていることではないか。網羅しなくても、生涯学習や幼児教育などの分野は社会に定着しており、是正が必要なら基本法をまたず個別にできるはずだ。
 列記されることで、これらの考え方が押しつけられたり、画一的な形や結果を求める空気が広がりはしないか。振興基本計画に忠実である度合いを各地方が競い合うことになりはしないか−−。
 こうした疑問や懸念を学校など教育現場は持つが、国会審議ではこれに答えていない。はっきりさせておかなければならないのは、改正法は決して国にフリーハンドを与える全権付与法ではなく、これで教育内容への介入が無制限に許されるものではないことだ。改正法第16条の「法律の定めるところにより行われる」の記述によって「国が法に沿って行えば、禁じられた『不当な支配』にはならない」と政府見解はいう。
 だが教育権などについて争った旭川学力テスト事件最高裁判決(1976年)は、国の介入を認めつつも「必要かつ相当な範囲」とし、また「不当な支配」とは「国民の信託に応えない、ゆがめる行為」との考え方を示した。恣意(しい)的介入を戒めたもので、国は抑制的な姿勢を常に忘れてはならない。
 国会審議に並行して、いじめ、大量履修不足タウンミーティングのやらせ発言工作など、事件と呼ぶべき問題や不祥事が相次いだ。新時代にふさわしい基本法をといいながら、内閣、文部科学省教育委員会など行政当局は的確な対処ができず、後手に回って不信を広げた。法改正を説きながら、その実は現行の教育行政組織や諸制度がきちんと運用しきれていないという有り様を露呈したのだ。
 次の国会で基本法に連動する学校教育法など関連法規の改正審議が始まる。日常の教育現場に直接かかわってくるのはこれだ。注意をそらしてはいけない。基本法改正審議の中であいまいだった諸問題や疑念をただす機会だ。
 「一件落着」では決してない。
毎日新聞 2006年12月16日 0時16分


 次に2006年12月16日づけの毎日新聞の記事から。


(4)<クローズアップ2006:改正教育基本法成立(その1) 政治の介入に道>
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/closeup/news/20061216ddm003010091000c.html

 ◇「支配」の解釈変更も−−審議190時間、課題残し
 15日成立した改正教育基本法の審議は、4月の国会提出から約190時間にわたった。「不当な支配」の解釈や「愛国心」、国と地方の関係−−。賛否が分かれた今回の改正は、戦後教育の大きな転換点となる。具体的な教育制度の変更は、来年の通常国会以降の関連法改正案などを通じ本格化するが、改正基本法はその道しるべでもある。審議の中心だったいじめ自殺、政府のタウンミーティング(TM)の「やらせ質問」問題など「3点セット」の影響も含め、7カ月半の教育論争を振り返った。【竹島一登、平元英治、衛藤達生、渡辺創】
 改正教育基本法の成立を受け、安倍晋三首相が掲げる教育改革も加速しそうだ。47年の制定以来、憲法と並ぶ戦後民主主義社会の礎となった教育基本法。ただ国会審議では煮詰まらなかった課題も多く、約60年ぶりの国会審議は「なぜ改正するのか」という疑問への明確な答えがないままの幕切れとなった。
 「国会で決められた法律、政令、告示、これが国民の意思だ。国民の意思でない力によって教育が行われることを不当な支配という」
 伊吹文明文部科学相参院教育基本法特別委員会が実質審議入りした11月22日、改正基本法にも改正前と同様に明記された「不当な支配」とは何かを問われ、政府と長年対立してきた日本教職員組合日教組)なども対象になりえるとの考えをにじませた。もともとは、政治や行政の介入を抑え、教育の自主性を尊重する規定。だが、政治の介入も許容する大幅な解釈変更も可能にした。
 野党は最後まで「教育への介入は抑制的であるべきだ」と迫ったが、伊吹文科相は「不当だと思えば裁判で結論を得るのが日本の統治システム」などと答え、正面からの議論には応じなかった。
 「愛国心」をめぐっては、首相は就任後初めて登場した10月30日の委員会審議で、「日本の伝統や文化を調べたり研究したりする姿勢、学習する態度を評価する」と学校現場での具体的な取り扱いに言及。愛国心の評価に否定的だった小泉純一郎前首相との姿勢の違いをみせた。
 愛国心は「国を愛する心」を主張する自民党と、「戦前の国家主義を連想させる」と抵抗する公明党が4月、「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現で折り合った。民主党は連立与党への揺さぶりを狙い、対案に「日本を愛する心を涵養(かんよう)」と記したものの、党内左派への配慮もあって審議では追及姿勢を取らなかった。首相は審議で「国を愛する心があって、その発露として態度がある。態度だけを養うということではない」と述べ、心と態度を一体視する考えを吐露。「愛国心」の明記に心残りをのぞかせた。
 文科省小泉政権下で、国・地方の「三位一体の改革」で義務教育費国庫負担を削減されるなど、逆風にさらされてきた。「教育を重視する政権は何よりの応援団」(幹部)。政府の教育再生会議の設置を機会に、懸案だった教員免許更新制など、異論も多い制度導入を図る思惑がある。履修単位不足問題で問題化した教育委員会や学校現場のほころびは「地方に権限を渡し過ぎた」(自民党幹部)との声とともに、文科省には追い風だ。
 ただ、再生会議では教育予算の流れを変える教育バウチャー(引換券)をはじめ、急進的な改革論が幅を利かせている。来年1月の中間報告に向け、文科省と再生会議の間にあつれきが生まれる可能性もある。
 政府は今年7月の「骨太の方針」で今後5年間、教育費の伸びを低い水準に抑え、教員数も削減する方向を決めた。だが日本の教育費は先進国の中では最低水準にあるため「お金をかけず、規範意識と管理だけで学校教育を立て直すのは無理」(中教審OB)との声もある。
 ◇いじめ・やらせ・履修不足、「3点セット」に内向き対応
 9月26日に臨時国会が開会して間もなく、全国各地で児童・生徒のいじめを苦にした自殺が相次いだ。10月下旬には政府のタウンミーティング(TM)での「やらせ質問」や高校の履修単位不足問題が明るみに出て、世論の関心は教育問題「3点セット」に集まった。野党は衆参両院の教育基本法特別委員会で内閣府文部科学省の姿勢と責任をただしたが、政府は、法案審議への悪影響を懸念して現場批判を繰り返すなど、内向きの対応に終始した。
 「警察庁法務省統計の自殺件数と、各教委から報告がある統計に乖離(かいり)があるのではないかと、役人に気付かせるだけの指導ができていなかった」
 伊吹文科相は11月28日の参院教育基本法特委で、止まらないいじめ自殺への責任問題でこう答弁し、一義的には文科省や教委の責任を認めた。ただ、具体的な問題点に関しては「文科省には各教委の指導・助言しかできない」と行政論を展開するにとどめた。
 TM問題でも、早期の国会報告を求める野党に対し、政府は徹底調査を掲げて内閣府に調査委員会を設けたが、参院での委員会採決直前の今月13日に報告書を公表。実質的な議論の場を封じた。民主党菅直人代表代行は15日、内閣不信任案を採決する衆院本会議で「『恥を知れ』という言葉を思い出した」と痛罵(つうば)した。
 10万人以上の高校3年生が補習授業を迫られた履修不足問題。安倍首相は、正規に履修した生徒と未履修者の「どちらも被害者」と救済を命じたが、救済策づくりは受験生の負担軽減を求める与党ペースに終始し、官邸のリーダーシップには疑問を残した。
毎日新聞 2006年12月16日 東京朝刊


(5)<クローズアップ2006:改正教育基本法成立(その2止) 免許更新、本格論議へ>
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/closeup/news/20061216ddm002010077000c.html

 ◇08年度から振興計画−−文科相
 伊吹文明文部科学相は15日、改正教育基本法の成立後に記者会見し、新たに作成が義務付けられた教育振興基本計画を08年度から5カ年計画で策定する方針を明らかにした。来年の通常国会で、教員免許の更新制度を導入する教員免許法改正案も提出する方針で、学校運営をめぐって再び議論を呼びそうだ。
 教員免許更新制は、有効期限10年を想定していたが、国会審議で期限短縮を含む厳格化が浮上。伊吹文科相は「国会の意見を聞く最優先課題だ」と与党との調整を進める考えを示した。
 また、地方教育行政法の改正も優先課題に掲げた。教育行政の基本を定める同法改正に当たり、履修単位不足やいじめ自殺で明るみに出た教育委員会の機能不全を踏まえ「都道府県教委と市町村教委、国と教委の間に責任を明確化する仕組みを考えたい」と述べた。
 一方、改正法の義務教育年限の撤廃に伴う学校教育法の改正は、小中高校など各種校種の目標の書き換え作業もあり、通常国会での改正案提出は慎重な考えを示した。
 子どもに直接影響するのが学習指導要領の改訂だ。愛国心の指導方法や「ゆとり教育」見直し、小学5年生以上の英語必修化の是非が焦点となる。
 ◆荒廃改善に資する/歴史に大きな汚点
 ◇大原康男国学院大教授(宗教行政論)
 約60年間そのままだった法律を全面的に見直して改正したことを評価したい。しかし、愛国心については「我が国と郷土を愛する態度」にとどまった。「態度」ではあいまいなため、ストレートに「我が国を愛する心」とすべきだった。「宗教的情操教育」に言及しなかったのも大いに不満が残る。ただ、国会審議で、首相や文科相が「心と態度は一体」「宗教的態度の涵養(かんよう)は必要」と踏み込んだ答弁をしている。教育振興基本計画は答弁を踏まえて作成してほしい。旧基本法は教育改革に反対する抵抗勢力のよりどころだった。基本法改正に必ずしも即効性があるとは思わないが、教育現場の荒廃を改善し、これまでできなかった教育改革を推進できる可能性が出てきた。
 ◇高橋哲哉東京大学大学院教授(哲学)
 改正基本法の成立は歴史的に大きな汚点を残すだろう。旧法は敗戦後の日本の憲法が定めた理念を教育がどう実現するのかを当時の知識人が熱心に議論をして成立した。だからこそ60年たった今でも普遍的で質の高いものとなっている。だが、改正法は「なぜ今変えなければならないのか」という根拠が不明。いじめや学力低下など現在の教育問題は基本法に問題があるから起きているわけではないのに、与党が数の論理で非常に拙速に成立させた。改正法では時の為政者がこういう教育にしたいと決めたらその意向通りに実現できる。子どもたちには愛国心の競争や幼いころからの格差をもたらしかねない。そうなれば教育現場は荒廃し、子どもたちを絶望に追いやるだろう。
 ◇ジャーナリストの桜井よしこ
 教育基本法は占領下で、日本人が完全な主権を持たない時代に作られた。どんな国でも教えている国や郷土を愛する心、自国の文化を大事にする精神が欠落している。改正すること自体に意味があった。ただその点では前文に愛国心を明記した民主党案が圧倒的に評価できる。改正案が与党の調整を経たもののため、国会で与野党間の修正協議が進まず結論ありきに終わったのは残念だ。改正で教育が劇的に変わることはないが、教師に指針を与え、子どもたちに公共心を教えていく必要がある。学習指導要領を見直し、知力や学力を育てることが必要最低限の課題。家族より個人、責任や義務より権利と自由に偏っており、教育問題の原因の一つとなってきた。次は憲法改正に取り組むべきだ。
 ◇小説家の辻井喬
 教育でいま取り組まなければならないのは、教育委員会の改革など現場に直結する問題だ。理念法の教育基本法について観念論争している時期ではなく、改正に意義は認められない。基本法憲法の理念を教育に落とし込んだもので、改正が憲法改正を見すえた流れにあることは間違いなく、その流れをどう変えていくかが課題だ。60年の安保闘争が一つの手本になる。護憲派の多くは60年安保で「負けた」と考えたがそれは違う。あれだけの大衆運動が起きたのは初めてで、新憲法の民主主義の感覚が大衆に定着した出来事だった。基本法は改正されたが、国会論戦は国民の耳に届いていない。これから議論を巻き起こし、大衆の憲法感覚を呼び起こすことができるかだ。私は大衆の憲法感覚を信頼している。
毎日新聞 2006年12月16日 東京朝刊


(6)<改正教育基本法:「教育理念狭くするな」…元文部官僚語る>
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061216k0000m040168000c.html

 元文部官僚は約60年ぶりの教育基本法改正を複雑な気持ちで見つめた。文部省初等中等教育局長、文化庁長官などを歴任した安嶋弥(ひさし)さん(84)は「私は国を愛している。でも、それは法律に書くことじゃない」と述べ、基本法そのものの廃止を主張する。「基本法は観念的・理念的な内容で、『作らなくてもいいんじゃないか』という議論もあった」と成立当時の省内を振り返った。
 1946年3月、日本の教育を方向付ける米国教育使節団が来日。「教育刷新委員会」の母体となる「日本側教育家委員会」も設置され、戦後の教育改革が始まった。
 安嶋さんは46年5月に旧東京帝大(現東京大)から入省。6月には当時の田中耕太郎文相が教育基本法の立案準備を明らかにする。安嶋さんは当時の学校教育局で学校教育法の法案作りに携わりながら、教育基本法の具体的な策定作業を行った調査局審議課の雰囲気を肌で感じた。
 一部の保守系政治家らが主張する米国に押し付けられた法律だという考えについて、「米国は『極端なる軍国主義、思想教育は困る』ということは言っていたと思うが、教育基本法のごとき法律を作れという空気はなかった。基本法を作りたいと言ったのはむしろ日本側だった」と振り返る。
 具体的な策定作業には田中二郎・東京大教授が参画する一方、教育刷新委員会(初代委員長=安倍能成・元文相)でも特別委が設けられ、天野貞祐・旧制第一高校長、島田孝一・早大総長ら8人が特別委委員に指名された。
 憲法の教育理念を具体的に明示し、「憲法の付属法」とも言われる教育基本法を審議した教育刷新委員会は、「議論も活発で、盛り込む文言を巡っても哲学問答が出た」(元文部省事務次官・天城勲さん)と戦後の新しい教育観が議論された。一方、安嶋さんは「冷ややかに見ていた。『反対はしないよ』というくらいでね」と証言する。
 安嶋さんは教育基本法の理念や今回の改正を否定も反対もしない。しかし、「教育の理念は狭く限定すべきではない。それに愛国心を法律に書いても実現できるものではない。いっぺんの法律で人の心が変わるなんてありえない」と力説する。
 教育基本法は、軍国主義の温床になったとされる教育勅語に替わる新しい教育方針の役割を担った。安嶋さんも「教育勅語に替わるべき何らかの指針は必要だという雰囲気があった。基本法の果たした役割は、教育勅語を否定したということに尽きる」と語る。「今日の教育界の成熟と安定を考えれば、基本法を廃止をしても間違った方向には進まない」と見ている。【高山純二】
毎日新聞 2006年12月16日 3時00分


(7)<改正教育基本法:管理強まる不安、教室変わる期待>
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061216k0000m040166000c.html

 「教育の憲法」と言われ、戦後日本の発展を下支えした教育基本法の改正案が15日、参院本会議で可決された。1947年3月の制定以来初の改正となる。いじめや履修単位不足問題、大学全入時代の到来などで、屋台骨を揺さぶられる日本の教育。「愛国心」表記や義務教育年限の撤廃などの項目はそのあり方を大きく変える可能性を秘める。「教室は変わるのか」「いじめ問題はどうなるのか」。教員や保護者らは不安と期待で見つめた。【教育取材班】 
愛国心に戸惑い
 法改正の焦点とされた「愛国心」は、「我が国と郷土を愛する態度を養う」と表現し、「他国の尊重」も組み合わせた。
 2人の子を持つ東京都品川区の男性公務員(46)は「愛国心表記は当然。学校でも国土の美しさなど訴えてほしい」と歓迎する一方、「外国人子弟への押しつけはやめて」と注文する。
 具体的な教育課程にどう取り入れるか学校現場では戸惑いと批判の声が聞かれる。群馬県立高校の男性教諭(36)は「日の丸掲揚や国歌斉唱で『掲揚だけでなく全員一礼する』『全員声を出して歌う』などと指示される」と、強制的色合いが強まることを危惧(きぐ)する。
 「成績評価」につながるとの懸念もある。愛媛県内の小学校長(59)は「愛国心の評価項目ができ、数値目標を掲げられても、評価するのは非常に難しい」と悩ましげに語る。
■家庭に第一の責任
 改正法は「保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と、家庭の責務を盛り込んだ。
 福岡市立中の男性教諭(31)は「ありがたい」と率直に評価。「学校からは家庭に言いたくとも言えないことが多かったが、これで、学校と家庭の連携を積極的にアピールできる」と喜ぶ。
 一方、高2の息子を持つ横浜市の女性会社員(48)は「学校に何でも押しつけると言われているから」と理解を示しつつ「法に明確化して『それで、どうするの?』と思う。今後は罰則まで設けることになるのでは」。
飛び級も可能?
 義務教育年限が削除されたのも特徴だ。関連法令が改正されれば、自治体判断で現行の9年より長くも短くもなり得る。愛知県北名古屋市の中学教頭(47)は「現場は劇的に変わる。教師も意識を変えなければ」と指摘。盛岡市立中の男性教諭(39)は「飛び級も可能になる。エリート教育が重視され、格差社会に拍車がかかるのでは」と心配点を語った。
■抱える課題に効果は
 学力低下、学級崩壊、いじめ−−子どもたちを取り巻く問題の解決に法改正は役立つのか。そもそもなぜ今改正なのか。疑問の声は多い。兵庫県西宮市の団体職員(44)は「教育現場の競争がより強まって、いじめや不登校問題がより深刻化するのでは」と効果に疑問符を付ける。札幌市の女性教諭(49)は「学校教育法など個別の法改正まで進まないと学校は変わらない」と冷静に分析、今後の教育改革こそが重要との立場を示した。
 ◇なぜ今なのか…教師の卵、賛否
 教育基本法を学び、近い将来教壇に立つ教育学部の学生たちは改正をどう見たのか。 山梨大4年の渡辺克吉さん(21)は「旧法の特に個の重視を進めてきた点は評価できる。なぜ今改正しなくてはならないのかという点が不明」と改正に疑問を投げ掛ける。名古屋大4年の仁科由紀さん(22)も「『我が国と郷土を愛する』と明記されると押し付けに感じてしまう」。滋賀県立大4年の西沢真志さん(21)は「国民的な議論の高まりもなく、教育現場の声を聞いていない。少人数学級などに先に取り組むべき」と語る。 一方、福岡教育大1年の桜井篤さん(20)は「今の子どもたちには国を愛する姿勢が欠落しており、前々から疑問を感じていた。基本法から変えないと国が壊れる」と改正には賛成の立場だ。岐阜大4年の岸知幸さん(22)も「授業で読んだが旧法は全体的に古いと感じた。求められる人間像も教師像も昔とは違い、時代に合わせて改変していくべきだ」と話す。愛国心の評価については「戦時中のように強要する必要はないし、そうしないよう教師が自覚を持って臨めばいい」と話す。
毎日新聞 2006年12月16日 3時00分 (最終更新時間 12月16日 9時09分)


 次に、横路現衆院副議長の言葉を引用しておきたい。
(8)<もう一度、教育基本法の原点に帰るべき 〜改正案の衆議院強行採決を受けて〜>
http://www.yokomichi.com/monthly_message/2006.11.18.htm

 皆さんこんにちは、横路孝弘です。
 国会では教育基本法改正案が野党欠席のまま衆議院を通過してしまいました。
 教育基本法というのは時代に合わないとか、占領下でできたとか言われていますけれども、戦前戦中の教育勅語天皇のために死ぬことができる人間をつくることを目標としてでき上がったわけですから、戦後新しくスタートする国家の理念になりようがないわけですね。
 そこで当時の文部大臣だった田中耕太郎さんがこれに変わる新しい教育の基本を定めなければならないと提起して、東大の学長だった南原繁さんや、のちに文部大臣を務めた天野貞祐さん、学習院大の安倍能成先生など、そういうたくさんの有識者の人たちが30回近い議論を重ねてできたのが教育基本法です。


 教育基本法を読んだことのない方が80%近くもおられるということですが、例えば前文ではどういうことを言っているかといいますと、世界の平和と人類の福祉に貢献しようという決意を持って日本国憲法を制定したと。この理想である世界の平和と人類の福祉の実現は根本において教育の力にまつべきものであると。したがって個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期すると。そして個性豊かな文化の創造をめざす教育を徹底しなければならないということが前文に書いてあります。
 第1条の「教育の目的」を読んでみます。「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」
 そして第2条の「教育の方針」には「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」というように書かれています。
 これらのどこに問題があるのでしょうか。まさに教育というのは人格の完成をめざして行うんですね。それが今の受験競争の中で、なんか受験のための教育みたいに堕落してしまっている、あの世界史の未履修問題もそうですね。
 そしてここにあるように自他の敬愛、自分だけではなく他人も敬愛し、そして協力すると。これは何かというと、やはり一人一人の個人の尊厳を重んずるということなんですね。そのことがしっかり行われていればイジメなんて起こらないわけですよ。


 問題は、戦前は国家が第一で国民は後回しだったわけです、第二だったわけです。戦後の憲法教育基本法はそこを大きく変えて、何よりやはり国民あっての国であると、国民が第一で国家が第二というように、価値観の大きな転換をしたんですね。
 先日の教育基本法改正案の委員会における自民党の賛成討論を見ましても、戦後教育はあまりにも個人の尊厳を重んじすぎたと、だからこれからもっと国家に奉仕するような人間をつくらなければいけないと発言しています。つまりまたもう一度国家が第一、国民は後回しと、そのために教育というものをひとつの手段として使おうというのが今の教育基本法の改正問題の基本なんですね。


 私は、現行の教育基本法は人類のいわば普遍的価値というものがしっかりここに表現されていると思います。国家より上のものですよね、人類の普遍的な価値。やはりそれを追求して人格の完成をめざして教育というのは行われなければならない。
 もう一度教育基本法の本当の原点に帰って、教育というものを、これは家庭における教育、学校における教育、社会における教育、第2条にありますように、教育の目的はあらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければいけない。そのことをやはり私どもははっきり考えていかなければならないと思います。


 バブルが崩壊して、そして小泉内閣のもとで弱肉強食の政治が行われてきました。あのバブルのときに汗水流して働くのはバカらしいと、投資投機で頭を使えと言った経済評論家がおり、そういう流れの中で小泉・竹中路線というのはまさにそういった政策を実行した。
 ホリエモンの裁判の様子を見てても、まさにそういうような流れの中で、勤勉とか、責任とか、努力とか、平等とか、誠実とか、そういう言葉はなくなっちゃって、もっぱら競争、効率、悪平等みたいなことが増えてきているのも、教育基本法を実践しなかった結果であると言わなくてはなりません。
 今後の参議院における審議をどうぞ注目いただければと思います。ありがとうございました。
   2006年11月18日


 最後に、1947年公布の教育基本法と、今回成立した新教育基本法の本文を掲げておく。


(9)1947年公布の教育基本法

教育基本法
(昭和二十二年三月三十一日法律第二十五号)
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


第一条
(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。


第二条
(教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。


第三条
(教育の機会均等) すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。
○2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。


第四条
(義務教育) 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
○2 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。


第五条
(男女共学) 男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。


第六条
(学校教育) 法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
○2 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。


第七条
(社会教育) 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。
○2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。


第八条
(政治教育) 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
○2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。


第九条
(宗教教育) 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
○2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。


第十条
(教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
○2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。


第十一条
補則) この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。


附則
 この法律は、公布の日から、これを施行する。


(10)今回成立した新教育基本法

教育基本法
教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。
目次
前文
第一章教育の目的及び理念(第一条―第四条)
第二章教育の実施に関する基本(第五条―第十五条)
第三章教育行政(第十六条・第十七条)
第四章法令の制定(第十八条)
附則
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
第一章教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
生涯学習の理念)
第三条国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
(教育の機会均等)
第四条すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。
第二章教育の実施に関する基本
(義務教育)
第五条国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。
2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。
4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。
(学校教育)
第六条法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。
(大学)
第七条大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
2 大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。
(私立学校)
第八条私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。
(教員)
第九条法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。
(家庭教育)
第十条父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。
(幼児期の教育)
第十一条幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。
(社会教育)
第十二条個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。
(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)
十三条学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。
(政治教育)
第十四条良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
(宗教教育)
第十五条宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。
2 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。
第三章教育行政
(教育行政)
第十六条教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。
地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。
4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。
(教育振興基本計画)
第十七条政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。
地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。
第四章法令の制定
第十八条この法律に規定する諸条項を実施するため、必要な法令が制定されなければならない。
附則
(施行期日)
1 この法律は、公布の日から施行する。
(社会教育法等の一部改正)
2 次に掲げる法律の規定中「教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)」を「教育基本法(平成十八年法律第号)」に改める。
一社会教育法(昭和二十四年法律第二百七号)第一条
二産業教育振興法(昭和二十六年法律第二百二十八号)第一条
三理科教育振興法(昭和二十八年法律第百八十六号)第一条
四高等学校の定時制教育及び通信教育振興法(昭和二十八年法律第二百三十八号)第一条
五義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法(昭和二十九年法律第百五十七号)第一条
国立大学法人法(平成十五年法律第百十二号)第三十七条第一項
独立行政法人国立高等専門学校機構法(平成十五年法律第百十三号)第十六条
放送大学学園法及び構造改革特別区域法の一部改正)
3 次に掲げる法律の規定中「教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)第九条第二項」を「教育基本法(平成十八年法律第号)第十五条第二項」に改める。
放送大学学園法(平成十四年法律第百五十六号)第十八条
構造改革特別区域法(平成十四年法律第百八十九号)第二十条第十七項