「幻の安保政策大転換」?


 マル激特別番組「幻の安保政策大転換を惜しむ 小沢辞任騒動を受けて」への感想だが、結論を一言で言えば、はっきり言って宮台氏も神保氏も福田という政治家を買いかぶりすぎている。福田に日本の安全保障政策の大転換ができるわけがないし、だいたい信念からそれを言ったのなら、その数日後にゲーツ米国防長官が来た時になぜ、「米国のゲーツ国防長官と会談し、海上自衛隊によるインド洋での給油活動再開に向けて最大限努力する考えを表明した」(引用の出典は毎日新聞のこの記事)などということがありうるだろうか。全くありえない。


 つまり、福田は大転換をするなどという覚悟を本当にしてあのように言ったわけではなく、せいぜいのところ、誰かから入れ知恵されて語ったにすぎないのではないだろうか。しかも、党内での議論を経ずにそう言ったわけだから、もし福田と小沢との間で合意が成立したとしても、自民党内ではその合意に対して異論が出てきて、党内の混乱が生じ、話はまとまらずに終わったのではなかろうか。安保政策に関して期待すべき人士ではないのである、福田康夫なる政治家は。


 と考えてくるなら、「幻の安保政策大転換」などとはしゃぐのが見当はずれであることは明々白々だろう。本当に安全保障政策の転換を期待したいのなら、むしろ、信念から転換を主張している小沢一郎率いる民主党が政権を奪取することにこそ期待すべきである。その意味からも、大連立に期待する、或いは大連立を容認するのは、全くの間違いだと言わざるをえない。


 なお、言うまでもないが、本ブログは小沢一郎という政治家に対してはもとより批判的であり、既に批判もいくつかものしている。その立場からするなら、辞意撤回の舞台となった民主党の両院議員懇談会の席上で仙谷氏が語っていたように、小沢の独断専行が今回の混乱の重要な原因だったことが指摘されるべきであり、マル激特別番組でその点が問題となっていなかったことは理解に苦しむ。


 最後に、巷間よく語られる政権担当能力についてだが、これに関しては、5年前に菅直人氏が民主党の代表選を戦うに当たって書いた雑誌論文「この内閣は私が倒す」(文芸春秋二〇〇二年七月号)が再読されるべきだろうと思われる。その中で菅氏は次のように書いている。

 ならば来たるべき新政権(民主党中心の内閣)は、何が違うのか。我々が総選挙で勝利し、政権を握ったら、いかにして改革を進めていくかを示そう。


 まず初めの三日間がひとつの勝負どころである。組閣後の初閣議で「事務次官会議」の即時廃止など新たな行政の枠組みを電撃的に決定することから、新政権をスタートさせる。組閣に際しても画期的なアプローチを試みたい。首班指名で総理が決まっても、すぐに閣僚を任命するようなことはしない。まず、第一に総理として国政に係わる重要問題についての指針を明確にする。その後に、その大方針に沿った人物を大臣にする。たとえば、総理に就任したらすぐに「諫早湾の国営干拓を中止し、干潟を再生させる」ことを表明する。その方針を忠実に実行できる農水大臣を任命し、新大臣は就任したら即座に長崎に飛んで、潮受け堤防の水門を上げるスイッチを押す。少なくとも農水省には農水大臣を止めることができる権限をもった人間はいない。だから改革は間をおかず実行に移すことができる。また「川辺川ダム建設計画の凍結・全面見直し」を宣言し、新国土交通大臣には就任記者会見の場でそれを明らかにしてもらう。なぜなら、そうした覚悟とリーダーシップを兼ね備えた人物しか、大臣に起用しないからである。


 さらに、すべての大規模公共工事を詳細に点検し、国民にとって無駄と判断されれば、事業を中止することを躊躇わない。


 こうした間髪入れずの改革は、むろん総理の独断で行うわけではない。組閣が終わったら、全閣僚と副大臣政務官、各政策スタッフには、少なくとも三日間は毎日、一堂に会して、内閣を運営する基本方針を徹底的に議論してもらう。


 大臣たちは、新たに出来た官邸に、常駐させる。全閣僚が執務できる部屋をつくり、各大臣は役人から引き離される。いままでのように役所で多くの役人に囲まれて(厚生省だけで五万人の職員がいる)いたのでは、国務大臣の独立は保てないからだ。内閣を国民全体に責任を持つ「国務大臣のチーム」として機能させるには、こうした物理的な体制づくりが何より重要なのだ。総理大臣が閣僚を掌握していないことが、これまでの内閣の最大の弱点であった。

 ここに示されている政権担当能力とは、チームとしての内閣のそれであり、政治家個々人の力量のことではない。これに対して、小沢氏が今回の記者会見の中で言った政権担当能力とは、個々の政治家の力量のことである。個々の政治家では、官僚制度に対抗することはできない。内閣が一丸となって初めて、官僚制度に対抗することが可能になる。それこそが、自民党政権民主党政権の根本的な違いなのではないか。少なくとも私自身はそのように理解しており、だからこそ民主党に期待しているのである。