石原都政検証記事の転記(3)

 昨日に続いて転記を行なうことにする。今回は2回分を掲載することにするが、特に2つ目については、「石原知事発言録」のところが注目に値する。いかにこの「新銀行東京」という、ヘンな名前の銀行が思いつきで始まり、その結果当然として大失敗に陥っているか、そしてその間に石原がいかに無責任な発言で終始しているかは、多くの都民の「鑑賞」(もちろん皮肉で言っているのである)に値する。


 まず1つ目の記事

朝日新聞 地方版
8年の軌跡 石原都政検証(3) 教育現場 変革の表裏−−都立「復権」 進む「強権」−−(2007年3月15日)


 10日に開かれた都立高校の卒業式。司会が「君が代斉唱」と声をかけると、生徒と教職員が一斉に立ち上がった。広報では、都教育委員会の職員が目を光らせる。50代の男性教員は
「処分されると思うと、なにもできない」
と指示に従った。
 同じ会場で前日、予行演習の後に校長が1人で教職員用のイスを動かしていた。予行演習では教職員から卒業生の横顔が見えるように並べられていたイスを、壇上に掲げる国旗を見据えるよう変えていたのだ。
「だれのための卒業式なのか。門出を祝うという雰囲気は、全くなくなってしまった」
と、男性教員は振り返った。


<上意下達狙う>
 03年10月、都教委は、卒業式などでの「君が代」起立斉唱を教職員に義務づける通達を出し、従わなかった教職員延べ346人を懲戒処分にした。昨年9月、東京地裁は、この通達を「違憲・違法」とする判決を出したが、都は控訴。方針を変えていない。
 「通達を出さざるを得ないひどい状況だった。舞台の国旗をおろそうとしたり、式場でジャージー姿で足を組んで週刊誌を読んだりしている教員もいた」
と都教委の幹部は強調する。石原慎太郎知事も記者会見で、「学習指導要領で要求されていることを教師が行わない限り、処分を受けるのは当たり前と思う」と語っている。
 都教委は、都立高の教員組織再編を進めている。「教頭」では教職員のトップというイメージがあるとして、校長の補佐役と強調するために「副校長」と改め、教職員を監督する「主幹職」を新設。今後、教員を「主任教諭」と「教諭」に二分し、給与に差をつけることも検討している。
 都教委の狙いは、校長を頂点とする「ピラミッド型」の組織にすることだ。昨年4月には、職員会議で採決などの方法で意向を確認するのは不適切だとして、禁止を通知した。公立の小中学校でも同様の動きが進んでいる。都教委は、
「校長のリーダーシップを発揮しやすくするため」
と説明するが、本音は校長による上意下達を徹底することで、都教委の意向を教職員に徹底しようとする意図が透けて見える。


<国施策先取り>
 一方、大学進学率の向上や多様な生徒を受け入れることを目的に進める「都立復権」の動きは、着実に成果を上げつつある。今春の一般入試の欠席率は、単独選抜制度となった94年以来、過去最低の7・2%。94年は、私立に合格するなどして5人に1人以上が欠席していた。都教委の担当者は「都立が第1志望になっている証し」と話す。
 進学指導重点校の日比谷は、今春の東大合格者が前期入試だけで21人。33年ぶりに20人を超えた。足立東は30分授業で小学校レベルから学び直す「エンカレッジスクール」の一つ。01年度に130人いた中途退学者が05年度には40人に減った。星野喜代美校長は「担任を2人つけ、自信を取り戻すように丁寧に指導する」と話す。進路が決まらずに卒業する生徒の割合も、03年度の44%から05年度は26%に減った。
 都教委の幹部は一連の取り組みについて「国の施策を先取りしてきた」と説明する。中央教育審議会が10日に出した答申には「副校長や主幹制度の新設」が盛り込まれた。政府の教育再生会議は1月に「高校での奉仕活動の必修化」を提言したが、都教委は2年前から準備を進めており、4月から全都立高校で必修になる。
 昨年12月には、改正教育基本法に「愛国心条項」が盛り込まれた。そのときすでに、都立高校では今春から、この条項の中身を「先取り」した独自教科の「日本の伝統・文化」が新設されることになっていた。


<IT化に遅れ>
 一方で、学校施設の整備は大きく立ち遅れている。07年度に都立高校のすべての普通教室にようやくエアコンが設置されることになったが、文部科学省の昨年3月の調査では、都内の公立学校の普通教室のLAN整備率は20・5%。全国最低だ。コンピューターの設置状況も全国で2番目の低さ。児童・生徒9・8人に1台で、コンピューターを活用して授業ができる教員の割合も65・1%と全国最低だった。


<石原知事発言録>
「小中学校における教育は詰め込みでなきゃだめだ。戦後日本の教育は、行き過ぎた平等主義による画一的な教育が、子どもたちのさまざまな成長の可能性の芽を摘んできたと思います」(06年6月、都議会本会議で)
「現場を裁判官は行って見てみた方がいい。私は、ごく平均的なレベルだっていう高校を2回見ましたがね。授業を受けているのは、前列の2列か3列ぐらいの人だけだ。あとは弁当を食ったり勝手なことをしてたよ。規律を取り戻すため、統一行動ってのは必要でしょう。その一つが、私は式典に応じての国家に対する敬意だと思う。」(06年9月、会見で。都教委による日の丸・君が代の強要は違憲とした東京地裁判決について)
「判決は不当なものであり、控訴することは当然であります。あの判決に喜んでいるのは多分共産党と、今やかなりたそがれてきた日教組の残党と、当の裁判官くらいじゃありませんでしょうか。控訴によって日本人の総意というものが反映されると私は信じております。公務員は法令に従う義務がありまして、まして教員は、法令に基づく学習指導要領により、児童生徒を指導する義務があります」(同、都議会で。同じ判決について)
「自殺なんか、予告して死ぬなって。大体甘ったれというか。やっぱり自分で戦ったらいいと思うねえ。こらえ性がないだけじゃなしにね、ファイティングスピリットがなければ、一生どこへ行ってもいじめられるんじゃないの」(06年11月、会見で。いじめを苦にした自殺予告の手紙について)
「判決のとおりだと思いますね。『君が代』に対するいろいろな価値観みたいなものが違っても、音楽の先生なんだから、やっぱり弾いてもらわなきゃ、みんな歌えないじゃないですか」(07年3月、会見で。教員に「君が代」のピアノ伴奏を命じた職務命令を合憲と判断した最高裁判決について)


 次いで、2つ目の記事

朝日新聞 地方版
8年の軌跡 石原都政検証(4) 赤字膨らむ「新銀行」−−資本金 食いつぶす恐れ−−(2007年3月16日)


 「専門家に意見を聞いたら、これじゃ(借り手にとって)一種の駆け込み寺だと。中小企業(への融資)でもまずいカードをつかんでいるという感じが否めない」
 6日の都議会予算特別委員会。石原慎太郎知事は、自らの発案で05年春に開業した「新銀行東京」で、貸出金が回収不能になるケースが急増していることに危機感をにじませた。
 昨秋発表の中間決算では、06年度上期は154億円の赤字。開業1年半で累積赤字は456億円にもなった。当初の経営計画では来年度に黒字転換するはずだったが、赤字が膨らむ一方だ。


<「方策はある」>
 預金を集めても貸し出し先が見つからない。回収不能になった損失額は58億円と想定の3倍に上っている。都は銀行設立にあたって1千億円の都税を出資したが、このままでは資本金を2、3年で食いつぶしかねない事態になっており、知事は「立て直す方策はいくらもある」と強がるのが精いっぱいだ。
 中小企業振興を目指してつくられた新銀行は、「無担保・無保証融資」を目玉にする。将来性がありながら経営規模が小さいために銀行の融資を受けられず、資金繰りに悩む企業に資金を貸す。そのためには、貸し倒れを避けるために企業の実力を見極める「目利き」ができる審査スタッフをいかに確保できるかが、銀行の成否を握る。
 だが、新銀行関係者によると、新銀行には他の銀行からの転職組はいるが、優秀な人材を引き抜く専門家であるヘッドハンターは利用されなかったという。
「ヘッドハントは金融界では常識だが、資質の精査や本人への説得など時間や手間がかかる。準備を急ぐあまり、手が尽くされなかった」
と、この関係者は指摘する。
 こうした実態には触れずに、知事は行き詰まりの責任を、
「不慣れな仕事を不慣れな人にさせたというきらいがある」
と経営陣に押しつける。確かに現在の社長はトヨタ自動車出身。当然、銀行業の経験はないが、知事が旧知の奥田碩トヨタ相談役のつてを利用して招いたのだった。
 新銀行は石原知事の2期目の公約だった。その選挙で知事は308万票を集めた。それだけに、都庁内部や都議会からは、設立に反対はなかった。
 たしかに、選挙公約として新銀行が示された03年春ごろ、「貸し渋り」は社会問題だった。だが、巨額の不良債権処理にめどがつきだした大手都市銀行などは、景気回復の兆しもあり、すでにこの頃には中小企業への融資に着目していた。


<設立前に疑問>
 このため、都庁幹部の間では、新銀行設立の準備段階から、都が銀行をつくることに疑問を抱く声があった。だが、複数の幹部は
「知事が重用する側近が人事権を振りかざしており、その意に添わない者はつぶされるという空気があった」
と口をそろえる。
「『事業が進まないのは局長が反対しているから』と側近副知事が知事にでっちあげて名指しされた結果、外郭団体に出されたり、任務をはずされたりした局長も多い」
 当時を知る金融関係者は、「トップダウンで始まっただけに、設立準備にかかわった都職員には金融知識がなく、知事の判断が必要になる案件が多かった。でも、知事は週に2、3日しか登庁しないので、話をなかなか進められなかったようだ」
と振り返る。


<セールス開始>
 中間決算が発表された昨秋ごろから、副知事が大手企業に電話をかけ、融資の引き受けを求めるセールスを始めた。でも、大手は都銀などから低金利で資金を調達できる。しょせんは「お付き合い程度」でしかなく、新銀行にとって、抜本的な再建策にはならない。
 新銀行の準備当時、金融庁で銀行監督業務にかかわった大串博志衆院議員は
「新銀行には、他行との競争に勝てるような特徴も優位性もない。たとえ景気が悪い状況が続いていても、やはり都銀などとの競争には勝てなかっただろう」
と手厳しい。


<石原知事発言録>
「(日本経済再生の)突破口として、負の遺産のない全く新しいタイプの銀行を創設することとしました」(03年5月、会見で。新銀行創設の方針を発表して)
「景気回復があったとしても、当面、中小企業については厳しい状況が続く可能性が高うございます。新銀行の必要性は大きいはずであります」(03年9月、都議会答弁で)
「ほかの銀行が逆立ちしてもできないことをやろうと思っています」(04年1月、会見で)
「新銀行の経営陣にはすぐれた人材を各界から向かえ、開業3年後には、総資産1兆6千億、自己資本比率は邦銀トップクラスの13%とすることを目指してまいります」(04年2月、都議会施政方針演説で)
「我々はルビコンを渡ったんでありまして、渡っただけじゃなく、すでにローマの岸に上陸して、一気にローマを攻め落とすだけであります」(04年4月、新銀行東京の発足式で)
中央政府の金融行政は脳梗塞を起こしているようでならない。ごくしれた額の融資に苦労している企業が多い」(05年3月、新銀行東京の開業式典で)
「経済全体の動向が昔と変わってきましたし、そういう目算の狂いというのはありますけれども、現況の中で私は順調にいっていると思います」(05年8月、下方修正された経営目標について)
「本当だったらこんなもの(新銀行)はつくらずに済んだ。それでよかったんだよ。国が中小企業に非常に冷淡で、ものすごい可能性があるものを全然手当てせず、だから僕は(中小企業支援の債券市場で)中小企業を支えてきたわけですよ。その一端の仕事でやったわけですからね、間違ったことをしていると思いません」(06年6月、記者会見で。赤字200億円となた初年度決算について)
「中小企業専門の銀行になるつもりでいたら、ほかがこっちのまねをしてやり出したんで、いろんな手違いもあったし、見込み違いもあったでしょう。東京は大株主としてものを言って、3年先の目的が達成できるように努力しますよ。ご不満ですか」(06年12月、記者会見で。3期目黒字転換が絶望的となった2期目上期の中間決算発表について)
「自動車のセールスのように物を売ればいいというような業務じゃございませんし、そこら辺に勘違いがあったなと。開業して行った貸し付けがほとんどデフォルト(回収不能)したということは、経営者側の見識の問題だと思います」(07年2月、都議会答弁で)