或る夢想

 新年に事寄せて、或る夢想を書いておこうと思う。その良し悪しは別にして、だが。


 音楽の世界では、CDであれその他の録音媒体であれとにかく、現在生きている演奏家については、その演奏家の演奏が収録された録音媒体の販売・流通を禁止することにする。但し、テレビ・ラジオなどを通じて演奏が放送されることは一向に構わないこととする。したがって、音楽店で売られるCD等は、必然的に、既に亡くなった演奏家のもののみとなる。もし世の中がこうだったならどうなるか。


 この話で決めていない部分があるが、それは、テレビやラジオで放送される演奏を私的に録音することをどう扱うか、である。これを取り締まろうとするなら、人々のプライバシーにまで公権力が立ち入ることを許容しなければならない。それは願い下げなので、私的録音は許可することにして良いだろう(但しもちろん、流通させるのはダメ)。また、二次的なことになるが、では生きている演奏家のCDはどうやって作るのかと言えば、当然、作り貯めをしておくことになる。その演奏家が亡くなった時に、それは公開されるのである。


 このようなことを考えるのは、生きている演奏家たちの演奏の価値をどうやったら高められるかと思ったからである。今は、いちいち生の演奏家の演奏を聞かずとも、録音媒体が世にあふれている。それは、一部の演奏家(ミュージシャン)を爆発的に儲けさせるには適した様式だろう。しかし、その影で多くの演奏家たちが鳴かず飛ばずでいることを思わないわけにはいかない。これは、クラシック音楽演奏家の場合に特に当てはまることだろうと思われる。そこで、録音媒体の販売・流通が禁止されれば、人々が生の演奏を聞く機会が飛躍的に増大するのではないか、と思ったのである。


 ・・・しかし残念ながら、そういうことにはならないようだ。なぜなら、少なくとも、亡くなった演奏家の録音は手に入ってしまうからであり、そしてその場合、聞き継がれるであろう演奏とは、過去における最高レベルの演奏であるだろうからだ。また、生きている演奏家について見ても、亡くなってからCDを売るよりは、生きている間に、つまり旬の間に売る方が、遥かに売り上げが大きいであろうことも容易に予測できる。


 現実的な、或いは言い換えるなら代替可能な、社会モデルを考えることはなかなか容易ではないようだ。しかし、思考実験として、これからも折に触れて、さまざまなテーマについて考えてみたいと思う。


 それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。