オウム真理教という宗教

 「ビデオニュース・ドットコムを見るようになって1年ほど経つが、これまでのところ概ね、番組の内容は良い意味で刺激的・思考誘発的なものだったように思われる。オウム真理教を扱った今回の番組もそうだった」−−と書こうと思い、神保氏のブログへのコメントではそういう立場からコメントを書いてしまったが、このWebサイトを見て、考えを改めざるをえなくなった。確かに、十年以上前の報道で見た時の記憶によれば、オウム真理教はこのサイトで紹介されているとおりのものだった。自らの記憶の曖昧さを恥じるほかない。


 ビデオニュース・ドットコムの今回の番組のタイトルは「麻原の神格化は大きな過ちだった」となっており、確かに番組でも上祐氏は神格化という言葉を使っている。しかしこれは、見方によってはきわめて重大な誤りだと言わざるをえないのではないか。


 つまり、オウム真理教地下鉄サリン事件を実行した時、オウム真理教の人々にあったのは麻原の神格化ではなかったはずである。あったのはむしろ、グルへの絶対服従ということだった。そして、そのグルがポアの教義を説くのに弟子たちは唯々諾々と従って、その結果例の事件が起きたのではなかったか。否定されなければならないのはグルへの絶対服従であり、またポアの教義である。上祐氏は、人を信仰の対象とするのでなく教えを信仰の対象とする宗教への変革を標榜していたが、それだけでは不十分なのではなかろうか。チベット密教に由来するとされるこれら2つの要素を排するのでない限り、教団の反社会性を払拭することは不可能ではないだろうか(もちろん、出家者を抱える限り、出家ということ自体に含まれる反社会性はついてまわるだろうが)。


 そして神格化は、むしろ麻原の処刑以後に行なわれる可能性ないしは危険性があることとして、今後警戒すべきことなのではあるまいか。神格化とは、神格化の対象が手の届かないところに行って始めて可能になるたぐいのことであるはずである。


 また、この情報によれば、「日常の修業で使われている」のは今なお「教祖のテキストや教え」だそうである。これももちろん直ちに完全にやめるのでなければ、上祐派が麻原からの独立を果たしたとは言えまい。