まやかしの勝利−−しかし、確かに変化の芽も

 石原慎太郎 2811486
 浅野史郎   1693323
 吉田万三   629549
 (以下略)
 有権者   10238704人
 投票率   54.35%


 都知事選の結果である。残念ながら、まやかしが勝利した。しかし、負け惜しみではないが、確かに変化の芽も見られる、そういう投票結果だったと言ってよいのではないか。


 変化の芽と言っても、例えば「変化望む「芽」 受け皿候補は不在 知事選本社出口調査」という題のこの記事にあるような「変化望む芽」を言っているのではない。少しく引用すると

 出口調査では「今回の知事選をきっかけに、県政(都政、道政)が大きく変わってほしいと思いますか」と共通の質問をした。「大きく変わってほしい」と答えたのは60〜70%台の高率だった。自治体財政が行き詰まり、難題が山積する中、有権者が変化を望んでいることを物語っている。


 しかし、「大きく変わってほしい」と答えた人たちは、グラフの通り、現職に投票した人が実に多い。特に2選目の北海道、神奈川は現職に投票する比率が50%を超え、4選目の福岡と3選目の東京では50%に及ばなかったが、いずれも「現職の退陣」を求める投票行動に結びつかなかったのである。「大きく変わってほしい」と答えなかった人は、各都道県で7割以上が現職に投票した。


 変化を好み、「しがらみ」を持たない各都道県の無党派層の投票行動を見ても、北海道は59%、東京は38%、神奈川は60%、福岡は47%が現職に投票した。

 「県政(都政、道政)が大きく変わってほしいと思いますか」などという質問は極めて曖昧である。記事のために記者がどうとでも解釈できる内容の質問であり、それ自体には大した意味はない。


 結局、今回の選挙の特徴は、次の記事の冒頭にあるように、現職の勝利ということだった。

 勝ったのは自民党でもなく、民主党でもなく、「現職」だった。8日投開票された第16回統一地方選挙の前半戦。13都道県知事選に立った9人の現職は、全員当選した。政党の力量よりも、現職を交代させる無党派層のうねりが起きるほど争点が明確にならなかったことが、勝敗を決した。最も注目された首都決戦の東京都知事選で、3選を果たした石原慎太郎氏の戦いも、それを表している。


 では、本ブログが言う「変化の芽」とは何か。それは、今回の選挙結果と前回の選挙結果を比較することで明らかになる。すなわち前回の選挙結果は、投票率が約10%低い44.94%、そして石原慎太郎は300万票の大台に乗せて当選というものだった。今回、投票率がほぼ10%上がり、その上がった分は、否それ以上が、そっくり浅野史郎氏に投票したことになる。ここにこそ、変化の芽が見られると言うべきである。



 ところで、現職の石原都知事が勝った。それは、この記事によると、石原の低姿勢というまやかしが新鮮に映った結果だという。

 「ボディーブローが効いている」。告示直前、石原氏は弱気な言葉を漏らした。高額な海外出張費や四男の重用問題が「都政の私物化」と批判を浴びていたからだ。
 石原氏を代えるのか代えないのか。それが争点になるかに見えた。


 だが、石原氏に投票した無党派有権者からは、こんな声が目立った。
 「最近、石原さんは謙虚になった」
 「知事を代えなければならない理由がない」


 過去2回、石原氏は出馬の度にサプライズの公約を用意した。「米軍横田基地の全面返還」であり、「新銀行設立」だった。それが今回、サプライズは公約の中身ではなく、「謝る姿」だった。
 街頭演説で「反省している」と頭を下げる。歯にきぬ着せぬ言動を見慣れた都民に、それが新鮮に映る。「石原か反石原か」が争点化する芽を、摘みとる形になった。

 事実とすればまことに嘆かわしい。なぜなら、「石原慎太郎の低姿勢」などはほとんど形容矛盾であり、まやかしでしかないのだから。その証拠に、既に当確判明後の記者会見(記事のタイトルは「圧勝 戻った石原節 「反省」一転、自信満々 都知事選」)では、低姿勢はきれいに姿を消している。

 開票が始まって間もない午後8時40分、石原慎太郎氏は東京・新橋の選挙事務所に笑顔で姿を見せた。100人を超す報道陣のフラッシュが一斉にたかれる。自民、公明の国会議員や都議、支援者らが拍手で迎えた。


 マイクを握った石原氏は、「都民の良識がこういう結果をもたらした」「政治は形で見せないとダメだ」と強気の姿勢で語り始めた。
 公約に掲げた五輪招致については、ひときわ熱が入った。「オリンピックは心の財産になる。みなさん一緒にやろうじゃないか」。そう声を張り上げると、支援者からまた大きな拍手がわいた。

 自らへの批判については「いろいろな誤解が拡大されたのは残念だった」と論評。「説明不足」を反省していた高額出張費の問題なども、「都議会の議事録を読んでください。そうすればわかる」と、質問を突き放した。


 五輪招致見直しの世論が強いことを指摘されると、「何を見直せばいいのか、具体的に言ってもらいたい」と反論。初めは神妙な面持ちでインタビューに応じていたが、厳しい質問が相次ぐうちに「批判って何ですか。それはバッシングでしょ」と声を荒らげる場面もあった。


 記事の最後には、選対本部長だった佐々淳行氏の次のような言葉があるが、

 佐々氏は「少し慢心したら兄貴分としてご注意申し上げる」と、手綱を締めた。

言うまでもなくこれもまたまやかしである。既に本ブログの別の記事で触れたように、佐々氏は、交際費による飲食仲間として石原当選の直接の受益者の一人なのだから、諫言などできるはずはない。


 これが、都民の選択の結果である。



 他方で、浅野陣営の敗因分析に関しては、述べられていることは一々もっともではある。それぞれから少しずつ引用しておくことにする。まずこの記事から。

 一方の浅野氏。「やはり現職の壁は厚かった」。それが敗戦の弁だったが、最大の敗因は「分かりにくさ」にあった。


 民主党からの立候補打診を断ったのに、途中から政党幹部らの応援を解禁した。それは窮して泣きついたような印象を与えた。民主支持層からも石原氏に流れた。浅野氏が立つことで不戦敗は免れた民主党だったが、かえって支持層を固めきれなかった姿をさらした。


 浅野氏はマニフェストを掲げたが、五輪招致や築地移転問題で当初は明確に反対を打ち出さなかった。まず都民の声を聞く姿勢を強調し、「ワンマン」と批判される石原氏とのイメージの対比を際立たせようとした。
 浅野氏は終盤になって対立軸を鮮明にする。しかし、「石原か反石原か」を争点に押し上げる好機はもう去っていた。
 無党派層は6〜7割といわれる東京で、今回の出口調査では、投票者に占める無党派層の割合は3割程度だ。「反石原」への投票行動まで引き寄せられなかった。


 浅野氏はゼネコン汚職による出直し知事選で宮城県知事になった。ある民主党幹部は、その成功体験に引きずられすぎたと分析する。「都政は伏魔殿だが、汚職が発覚したわけではない。クリーンを売り物にすれば当選できた宮城とは違った」


 次にこの記事から。

 午後8時50分、新宿区のホテルに設けられた会見場に現れた浅野氏は「初めて挑戦者として戦って、現職は強いと改めて実感した。月並みな言い方だが、私の不徳の致すところだ」。サバサバとした表情で語った。


 「現職への批判をしたが、有権者には大きな失政とは受け止められていなかった」と悔しさをにじませる場面もあった。
 選挙戦では五輪招致や築地市場移転への反対を打ち出したが、「有権者が最重要課題だと見てくれなかったのだろう」。そして、「知事を代えなきゃいけないとまで感じられていなかった。石原都政の実害を被っている人は限られており、一般化していなかった」と敗因を分析した。


(中略)
 明確に五輪反対を掲げる他の新顔候補と臨んだテレビ討論で、浅野氏の主張はかすむ。選挙事務所に相次ぐ「はっきりしろ」の声。浅野氏が「中止」を表明したのは、告示後の3月末だった。


 戦略上、一番重要なのが無党派層の取り込みだった。浅野氏は告示前、宮崎県の東国原英夫知事の携帯電話を鳴らした。告示後には高知県橋本大二郎知事にも電話した。「改革派知事に並んでもらい、無党派層に訴えかける」。だが、いずれにも断られ、陣営の思惑は頓挫した。
 結局、駆けつけた応援弁士は民主、社民党関係者が中心。その姿に、「浅野さんは政党色を嫌っていたのではないのか」と有権者は戸惑った。終盤に応援に立った民主党幹部は「初めから我々が顔の見える形で支援すれば良かったんだ」といらだった。


 政党の応援のあり方について一言言っておけば、私は、選挙戦では最初から、政党が応援をすることを明確にして戦うべきだったと思う。但し、いわゆる推薦というような方式ではなく、政党が人物をその人物ゆえに応援し、当の人物の政策を丸呑みすることで応援するという方式をとるべきだったと考える。つまり、言わば「政党の無党派的支援」を実現するべきだったと思う。実際にボランティアとして参加してみてよくわかったが、ポスター貼り一つをとってみても、組織的に動ける人々の支援の力は明らかに絶大だった(全くの素人では、ポスターの1枚すら、選挙期間中の風雨に耐えるようにうまく貼ることができないのである)。この点に関する本ブログの立場はこの記事この記事の冒頭で書いたとおりだが、実際面から見ても、政党隠しなどというまやかしで選挙を戦うべきではない。


 その一方で、ボランティアを募って選挙を戦うことには何らの異論もない。「政党の無党派的支援」の場合の問題は、政党との協力関係が最初から明らかな場合にボランティアが大勢集まるかどうかという点だろう。確かに、最初から政党がついていることが明らかになると、ボランティアは今回ほどには集まらなかったかもしれない。これはむしろ、ボランティアの側の問題であり、さらには政治への参加に対する有権者の意識の問題なのだろう。このあたりへのこだわりが、今回の場合、浅野候補の選対と政党との間をぎくしゃくさせた(ように見せた)一因だったのかもしれない。これに対する明確な解は、直ちには見当たらない。ボランティアを集める一方で、複数の政党からの協力をとりつけたことを告示直前に発表できれば或いは理想的なのかもしれないが、そうと断言できない難しさがこの問題にはある。


 もう1つ、民主党の都議会について書いておきたい。事実上浅野氏を応援した以上、今後都議会では民主党石原都政への対抗を強めるのが筋だと思う。議会について既に本ブログでも書いたとおり、石原都政の暴政が吹いている一因は、都議会が知事に対するチェック機能を果たしていないところにある。築地の問題や高額接待の問題など、石原都政の問題をこれまでに浮き彫りにしてこれたのは基本的に共産党都議団だけのようである。民主党は、本気で政権交代を目指すのなら、もっともっとしっかりしてもらわなければならない。


 最後にもう1つ、メディア批判を書いておかなければならない。石原の当確が打たれてから行なわれた記者会見の中で浅野氏が言っていたことだが、今回の選挙では、マニフェストの真の意味が報道によって伝えられることが、大変残念なことに全くなかった。本ブログの別の記事でも触れたように、マニフェストとは「数値目標」、「期限」、「財源」、「工程表」を含むものであり、当の候補が当選した暁にはその候補の政治実践を拘束・規制するべき性質のものである。石原に投票しながら石原が心変わりすることを期待した有権者がいたとすれば(そのような有権者の数は少なくなかっただろう)、彼らは全く考え違いをしていると言わざるをえない。なぜなら、石原はマニフェストなど出しておらず、有権者に対して何ら明確な約束をしていないからである。真の意味でのマニフェストを発表していたのは浅野史郎氏だけだった。候補者の勝因・敗因の分析をやるなとは言わないが、それ以前にメディア自身が、実に愚かしいほどに自ら不勉強であることを、少しは恥じるべきではなかろうか。


追記
 OhmyNewsの次の記事は読み応えがある。石原慎太郎の3選となってしまった投票結果は果たして良かったのかどうか、既に今日から疑問を投げかけるに十分な内容である。
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