都知事石原慎太郎の許されざる奢り


 都知事石原慎太郎(言うまでもないが、「石原慎太郎都知事」と書かないのは、石原が「新銀行東京」「首都大学東京」などと語順をひっくり返す馬鹿さ加減を皮肉るためである)の言動・行動には一々怒りを覚えるが(これについては本ブログの「記事一覧」中の「都知事選」の欄の過去記事を参照されたい)、2016年の五輪開催をめぐる一連の発言には、深甚なる怒りを改めて覚えさせられた。石原慎太郎はどこまで奢り高ぶっており、どこまで愚かなのか。ここであえて記録にとどめておきたい。言うまでもないが、石原慎太郎は本来直ちに都知事をやめるべきであり、ついでに言えば政治家をやめるべきであり、さらに言えば・・・と、ここまでは書くまいが、ともあれ人間として最低の部類の輩だと評さざるをえない。


 私が心の底からの怒りを覚えたのは朝日新聞の次の記事を読んだ時である。

石原知事、五輪招致150億円「痛くもかゆくもない」
2009年10月10日5時31分


 16年夏季五輪招致で敗れた東京都の石原慎太郎知事は9日の定例記者会見で、税金100億円を含む招致活動費150億円について「財政再建の余剰分であり、東京の財政は痛くもかゆくもない」「余剰分で夢を見ようと思って(招致活動を)やったのは間違いじゃない」と述べた。


 活動費は3年分で、税金のほか、企業からの寄付など民間資金50億円が含まれる。使途を公表する方針を打ち出している石原知事は会見で、外部監査による検証も検討する考えを示した。


 一方、ブラジル・リオデジャネイロの招致活動に関して「ブラジルの大統領がかなり思いきった約束をアフリカの(国際オリンピック委員会委員の)諸君としたようだ」などと発言し、リオの招致委員会が反発している問題については、「私の言ったことが正しく理解されていない」「(ブラジルが)悪いと言っているわけじゃない」と釈明した。

 100億円の税金を使っておいて、「東京の財政は痛くもかゆくもない」だと? まず言うまでもなく、100億円の金は石原らが無駄に使ってよいような金額では全くない。それだけの金額があれば、例えば雇用対策のために何ができただろうか。東京都庁がある新宿では毎夜、実に多くのホームレスが段ボールを広げて寝ている。今回の暴言は、石原はこういう人々のことをなんとも思わないと言っているように私には聞こえて仕方がない。


 また、石原は、ブラジルの招致活動について自分の発言が正しく理解されていないなどと言っているが、自分で自分の言ったことを理解していないようであり、全く無恥な輩である。参考までに、そのあたりを報じた朝日新聞の記事を引用しておくことにする。

石原知事発言「裏取引」にリオ招致委、非難の声明
2009年10月6日20時41分


 16年の夏季五輪開催地に選ばれたブラジル・リオデジャネイロの招致委員会は5日、東京都の石原慎太郎知事が、ライバル都市のイメージを損なう論評を禁じた国際オリンピック委員会(IOC)の規則に抵触する発言をしたと非難する声明を出した。IOCに正式に抗議するという。


 リオの招致委は朝日新聞の取材に、「4日の記者会見で『裏取引』があったかのように言及した部分だ」と説明した。


 石原知事は4日の会見で、「例えば、ブラジルの大統領が来てですね、聞くところ、かなり思いきった約束をアフリカの(IOC委員の)諸君としたようです。それからサルコジ(仏大統領)がブラジルに行って『フランスの戦闘機を買ってくれるなら(五輪招致で)ブラジルを支持する』とか」などと発言。開催地選考に関しても「目に見えない非常に政治的な動きがあります」と話していた。


 リオの声明について、都幹部は「人づての情報を確認せずに口にした知事は、やや軽率だったかもしれない」と声を落とした。別の幹部は「東京は20年五輪に再挑戦するかもしれない。IOCの心証を損ねないよう、誠実に対応しないといけない」と話した。


 IOCは、開催候補都市に向けた行動規範で「ライバル都市のイメージを損なう恐れのある論評を慎まなければならない」としている。(平山亜理=リオデジャネイロ、岡雄一郎)

ブラジルとフランスの間でどういうやりとりがあるか、私は知らない。しかしここで問題なのは、言ってみれば週刊誌に載るようなゴシップ的な記事のたぐいの話を、政治家が公けの場で発言してしまうという、分別のなさなのである。石原慎太郎という人間には品格がないから、場もわきまえず見境なく発言してしまって、こういう結果を引き起こしてしまうのである。2007年の都知事選で石原慎太郎を支持した有権者はこの事実と向き合わなければならない。そして、このようなことは、果たして国際的に見て極めて恥ずかしいことでないかどうか、自ら考えるべきである。


 私一人ではどうしようもないが、しかし石原慎太郎都知事から辞めさせようという運動がもしあるなら、今すぐにでも参加したい気持ちである。こういう輩が都知事の座にとどまり続けるのを容認するのは極めて不名誉なことだということを、東京都民は身にしみて感じる必要がある。


 

民主党の経済・財政政策への注文


 以前、選挙直後に勝手に閣僚名簿を考えたことがあり、その際私は財務大臣として藤井裕久氏を考えていた。財務省のことをよく知っており安定感がある、というぐらいの理由でそう考えたのだが、ただどうも、この方は今の日本の経済状況がどういうところにあるか、よくわかっておられないのではないか。先の円高容認発言といい、以下に引用する朝日新聞の記事に見られる発言といい、少々(相当に)不安にさせるものがあると言わざるをえない。

国債増発、今年度必要ない」 藤井財務相、税収減でも
2009年10月9日22時17分


 藤井裕久財務相は9日、「今年度も(国債を)増発する必要はない。(税収が)減っても、いろいろな手法はある」と述べ、景気悪化に伴う税収減の穴埋め策として国債発行に頼らない考えを示した。記者団の質問に答えた。09年度の新規国債の発行額を、麻生内閣が計画した約44兆円以下に抑える考えだ。


 09年度予算では46兆円の税収を見込んでいるが、法人税の落ち込みなどで数兆円の下ぶれが起きるとの見方が出ている。藤井氏は財政規律を重視する立場から、借金に頼らず、まずは既存予算の歳出カットや使い残しなどで生まれる財源でやり繰りする考えとみられる。


 また、藤井氏は同日の民放テレビ番組の収録で、「国債は麻生政権では44兆円出している。それよりは減らさなければ、国債市場の信認にこたえることにならない」と発言。すでに鳩山由紀夫首相が示した方針通り、10年度予算でも国債発行を09年度の予定額より減らす考えも示した。

 昨今電車に乗るとすぐに目につくことだが、車内の広告が非常に減ってきている。東京に住んでいる私の場合、既に私鉄では数か月前(或いはもっと前)から、当の鉄道会社の広告が目につくようになっていた。言うまでもなく、広告の掲示を水増しして、車内が閑散としたイメージをつくらないための努力なのだが、最近では(利用者が比較的多いと思われる)JRでもこれが目につくようになり、しかもそれでもなお広告が少ないと思える時がある。


 さらに、田原総一朗氏のブログを見ると(念のため言うと、私はジャーナリストとしての田原氏を全然評価していない)、テレビ局も新聞も広告が減って困っているとのこと。同じようなことを出版関係者(兼ジャーナリスト?)も言っており、これらから見て明らかに、広告宣伝に対する企業の支出は激減しているようである。もちろん、テレビ・新聞だけが広告減となっているのなら、既存の媒体での広告宣伝をやめて新たな媒体に移っている、という可能性もあるだろうが、むしろそうではなく、広告減は今の景気の冷え込みを如実に反映していると考えるほうが当たっているように私には思われる。


 こういう時に民主党は財政の無駄をカットする。もちろん、それは国民が民主党に期待していることであり、結構なのだが、しかしそれだけをやっていたのでは、景気を余計に落ち込ませる可能性が確かにある。よって、予算の無駄をカットする一方で、大規模な景気対策の可能性は決して否定すべきでないと思う。


 それなのに、藤井財務相は「財政規律を重視する立場から」国債増発に対しては否定的だとのこと。財政規律を重視する立場に立っていた橋本内閣の失政が何をもたらしたか、本当によくわかっているのだろうか。自殺者がそれまでの2万人台から3万人台に跳ね上がったのは、橋本内閣の失政の結果という面が確かにあったのである。ここでその二の舞をやろうものなら、(その先はあえて言わないが)それこそとんでもない事態になりかねない。率直に言えば、私などはむしろ、新規国債の日銀引き受けといった、通常なら禁じ手とされる政策の出動すら、今の状況では必要なのではないかと思っているのだが。


 民主党政権はくれぐれも間違えないでいただきたいと切に願う。



 ところで、朝日新聞の記事で「亀井・返済猶予案、町工場で聞いてみた」というのが目にとまった。内容は各自でご覧いただくのがよろしいだろうが、亀井大臣の発案に対するもっぱら否定的な声を「町工場の声」として紹介するこのような記事は、作ろうと思えば正反対のものもできるというたぐいの記事であり、極めて恣意的な、したがって低級な記事だと言わざるをえない。この記事を書いた石田博士という記者の見識を大いに疑わせる代物である。


 ただ、その中で、地元の産業振興協会の理事の考えとして、
小泉政権期に金融庁の検査が「国際会計基準」に合わせて厳密になったことが中小企業を追いつめた」
ということが述べられていたのはたぶん当たっているのだろう。そして、この関連で、私は不思議でならないのだが、以前に民主党桜井充参議院議員が「諸悪の根源、金融検査マニュアル」という文章をメールマガジンで送っていた。まさに金融検査マニュアルこそが、中小金融機関を含む金融機関の上記のような貸し出し姿勢(より正確には、貸さない姿勢)を生み出してきたのであり、そしてそれを変えるためには、桜井議員の言葉によれば「税金を一円も必要としない」はずなのである。それなのになぜ、民主党政権は、金融検査マニュアルの改訂を行なわないのだろうか。ここは、どう考えても理解に苦しむ。


 できる施策を総動員することが、今の不況(或いはむしろ、大不況)への対処として必要なのではないか。民主党政権はもっともっと危機感を強く持って、事に当たってもらいたいと希望する次第である。


 

民主党政権は公約をひたすら実行せよ


 前原国交相が八ツ場ダム地元に「理解を得るまでダム建設事業の廃止手続きは進めない」と言ったとのことだが、もし本当なら、民主党政権交代を目指したのは何のためだったかを疑わせる。


 民主党政権の船出に合わせて行なわれた世論調査は、もちろんご祝儀も込めてだろうが、軒並み70%超の高率で鳩山内閣支持という結果を出した。しかしもちろん、それは無条件の支持ではなく、支持率調査と同時に行なわれた設問への回答では、新政権が財政の無駄を削ることへの期待が非常に高い。しかも八ツ場ダム建設の中止は選挙戦中に鳩山代表他が再三約束した事だ。今さら中止しない選択肢はありえず、それを先延ばしにする選択肢もありえない。


 地元の人々の生活への配慮はもちろん必要だが、それは意見交換会でなく説明会によって理解を求めれば充分だ。地元への過度の配慮は、地元以外の全国の有権者に対する背信行為になりかねないということを国交相及び民主党政権は認識すべきだ。



追記(9月28日)
 末尾に掲げたのは数日前の朝日新聞の記事だが、これについて少し触れておきたい。


 まず、この記事のうち、一晩にメールが4千通来たというのはもちろん真実だろうが、果たしてそのうち「8割が批判的な内容」というのは本当だろうか。もしこれが本当なら、少なくとも3200通の中身を一々チェックしてその内容を確認したのでなければならないはずだが、そんなことをやったとはまず考えられない。それにそもそも、8割が批判的だとすれば、残り2割つまり800通は批判的でない(ダム建設に賛成とまで言わなくとも)ということになるが、その割合は異常に高いように私には思われる。


 それはともかく、この記事の中にある「ネットの巨大掲示板」とはもちろん2ちゃんねるのことだろう。そして、私自身はもともと、2ちゃんねるなどという代物は全く評価に値しないと思っている。ただ、そう言った上で付け加えれば、この記事を読んで私は或る種の感慨を禁じえなかったことを白状しなければならない。


 つまり、長野原町に対して行なわれたのは、「まつり」とでも言うのだろうか(よくは知らないが)、ともあれインターネット側からのお騒がせなメール集中ということではあるのだが、しかし、長野原町の町役場にとってみれば、これほどのメールを受け取ることは空前絶後だろう(仮に複数のメールが同一人によって出されていたとしても)。これを単に「電話もひっきりなしで、仕事にならない。なぜ地元が悪者にされるのか」というふうに受け取るのは全く正しくない。先鋭的ではあれ、確かに世論の一部がこういう形で噴出したのであり、(上述のようにカウントが不確かだとしても)その圧倒的多数は自分たちの町がやろうとしていることに対して批判的なのである。これを全く無視するようでは、政治(行政もまた政治の一部である)に携わる人間として失格だと言わざるをえない。


 他方で、インターネットの側について言えば、今なお、自分たちの力の表現の仕方がわからずにいるように思えてならない。例えば、自分たちの思い思いの言葉で批判・中傷するというようなやり方よりもむしろ、今回の問題で言えば八ッ場ダムの建設がいかに無駄であるかを詳しく述べたウェブサイトへのリンクを紹介するメールが何千何万と送られていたならどうだろうか。こういう時には、攻撃は整然にして斉一的であるほうが遥かに効果的だと私は思う。インターネットの側は、力が依然限られているとはいえ、しかし全く無力ではないのだから、自らの力をより有効に使う方法を考えるべきではないだろうか。もう一段の成熟が、インターネットの側には求められているように思われる。


 上で言及した記事は以下のとおり。

八ツ場ダムの町、一晩にメール4千通 批判・中傷8割
2009年9月26日5時29分


 前原誠司国土交通相が建設中止を表明した八ツ場(やんば)ダムのある群馬県長野原町の町役場に、一晩で4千件のメールが殺到していたことが25日わかった。建設推進を求める地元に対し、8割が批判的な内容。町は「中傷が目立ち、メールサーバーへの負荷もかかる」として、メールの受け付けなどを25日朝、停止した。


 地元の住民代表らが23日の前原国交相との意見交換会への出席を拒否したことを受け「対話拒否はおかしい」「(民主党が総選挙に勝ったという)民意に背くのか」といった批判や、「ダムが中止になって、なぜ喜ばないのか」という意見が多く、なかには「ごね得」「非国民」などと中傷するメールも。


 同町によると、通常は一日数件が届く程度。前原国交相が現地視察をした23日は200件を超すメールが届いた。担当者が25日午前8時すぎに確認すると、前夜からの間に4千件届いていたという。ネットの巨大掲示板に役場のメールアドレスが書き込まれたことが原因らしい。


 担当者は「電話もひっきりなしで、仕事にならない。なぜ地元が悪者にされるのか」と憤っている。


 

民主党政権はすべての記者会見をオープンにせよ


 民主党政権がスタートしたこういう日に民主党の批判をしたくはないが、政権の本質にもかかわることなので、あえて書いておきたい。


 「新首相就任会見、雑誌記者の参加認める 内閣記者会」という記事がある。一応引用しておくと、

新首相就任会見、雑誌記者の参加認める 内閣記者会
2009年9月15日20時9分


 内閣記者会は15日、鳩山新首相が首相官邸で16日に行う就任会見について、外国特派員10人程度、雑誌・専門紙誌の記者10〜15人の出席を認める方針を決めた。内閣記者会は規約で、原則として会員以外の会見への出席を認めておらず、これまではオブザーバーとして特派員5人程度が参加するだけだった。


 官房長官に内定している民主党平野博文役員室長から内閣総務官室を通して内閣記者会に対し、情報公開の観点から、外国特派員、雑誌・専門紙誌の記者の出席を認めるよう要請があった。内閣記者会加盟各社の代表が15日、協議した結果、規約の規定にかかわらず今回は参加を認めることにした。規約を改正するかどうかは今後協議する。

見られるように、雑誌記者が参加できることがさも情報公開の前進であるかのごとき形で語られているが、しかしこれはとんでもない話なのであって、実際には、記者クラブ(この場合には内閣記者会)に所属しないジャーナリストは原則として参加できなかったらしい。


 つまり、民主党が自らの政治姿勢の根幹に据えていたはずの「情報公開」ということが、政権スタート当日から歪められたのである。この点について詳しくは、次のコラムが書いている。
新聞が書かない民主党の「公約破り」
 また、この点を論じた番組(収録は9月15日、つまり政権発足前日のことだと思われる)が以下のリンクからビデオで見られるので、これもぜひご覧いただきたい。
1-6民主党 記者クラブ開放の公約を反故に 神保哲生 x 上杉隆
2-6民主党 記者クラブ開放の公約を反故に 神保哲生 x 上杉隆
3-6民主党 記者クラブ開放の公約を反故に 神保哲生 x 上杉隆
4-6民主党 記者クラブ開放の公約を反故に 神保哲生 x 上杉隆
5-6民主党 記者クラブ開放の公約を反故に 神保哲生 x 上杉隆
6-6民主党 記者クラブ開放の公約を反故に 神保哲生 x 上杉隆


 これで民主党は本当に政治改革などできるのだろうか。政権の先行きを大いに懸念させると言わざるをえない。例えば、容易にできる記者会見のオープン化を実現できずに、取り調べの全面可視化などという、遥かに難しいであろうことが、実現できるだろうか。


 既存のメディアがいかにダメであるかということを、我々はよく知っている。そしてその原因の相当部分が記者クラブの存在にあるということもよく知られている。記者クラブがあるからこそ、既存のメディアは相当程度官僚のプロパガンダに踊らされており、それが今の官僚主導政治を作ってきたのではないだろうか。これを突き崩さずして、どうして官僚主導政治を打破できるだろうか。


 民主党政権は、官邸での会見を始めとして、各大臣及びその下の政務三役の会見に至るまで、すべての記者会見を政権主催の会見とし、すべてのジャーナリストにオープンにすべきである。そうせずして、民主党政権が官僚主導を打破できるとは私には思えない。


 

政治家のブログの更新度と政権交代


 今回政権交代が実現したのに伴い、これまで与党にいた(つまり、これから野党にいることになる)政治家の発信にも今まで以上に注意する必要があるだろうと思って、そういう種類のブログの情報を集めてみたが、いささか驚かされた。


 というのは、これからの野党の政治家の発信たるや、一部を除けば極めてお粗末だからである。


 もちろん、私は全部を集めているわけではないし、当然ながら好き嫌いもある。そして一応設けた基準は、今回の選挙で国会に議席を獲得した政治家のブログ情報を集める、というものである(従来から閲覧していたものについては必ずしもその限りではないが)。だから、当然ながら数は限られてくるわけだが、それにしても、ちょっと少なすぎないかと思うほどの貧弱さだった。


 具体的に言うと(あくまでも印象に基づいて言うのだが)、自民党の政治家の中でよく発信しているのは
衆議院議員 河野太郎発行メルマガ「ごまめの歯ぎしり」ブログ版
世耕日記
石破茂(いしばしげる)ブログ」
ぐらいである。


 選挙前までは
早川忠孝の一念発起・日々新たなり
というのも更新頻度が高かったが、この政治家は落選し、今後は頻度が低くなるであろうことが予想される(それにそもそも、国会情報を知りたい当方としては、あまり価値がないものとなってしまった)。


 また、
伊藤達也ブログ【調布市・三鷹市・稲城市・狛江市選出】
も選挙前まではよく更新していたが、やはりこの政治家も落選し、以来茫然自失状態となったからか、選挙からもう1週間近くなるのに全く更新されていない。


 これら以外に今回、上記の基準に基づいてリストに加えた自民党政治家のブログとしては次のようなものがある(なお、リンクは張っていないので、興味のある方はご自身で検索されたい。私自身は、調べるのに「超人大陸」のこのページを使った)。
「えんどう利明のブログ」
「新かつとしコラム」
「伊東よしたか」
「田村のりひさ直球勝負!!」
「親指の独り言」
「涼晴記」
「ケンタブログ」
しかし、これらのいずれも、真面目に更新しているとは言いがたい状態にある。
公明党をなぜ入れないかって? 公明党などという政党は、私にとっては一刻も早く無くなってほしい政党でしかない。つまり私は、そんな政党の政治家が言うことに一々聞く耳を持つほど寛容な人間ではないということである。)


 これに対して、私は民主党及び他の野党の政治家(その多くはこれから与党の政治家になる)のブログも20余りふだんからチェックするようにしているが(もちろん、いわゆるRSSリーダーなるものを使ってである)、こちらは(すべてとは言わないが)概してまめに更新されている。


 自民党の政治家の多くはインターネットもろくに使えない連中だったのだろうか? そういう可能性もなくはないが、しかしそうではないだろうとまずは考えたい。とするなら、この歴然たる違いは一体何を意味するのか? 自民党の政治家は、ブログにうつつを抜かす暇を惜しんで地元回りに励んでいた、ということなのか? しかし私の見るところでは、まめに更新している政治家は地元回り等もよくやっているように見える。とするなら、これは一体どういうことなのか? 与党ボケとでも言うべきものがあるのだろうか。


 政治家というのは、ただの有権者でさえものを言いたくなる日本の政治の、そのど真ん中に位置している人々のはずである。彼らが自分の言いたいことに事欠くとはまず考えられない。ところが、(これまでの)与党と野党でこれだけ異なってくるというところからすると、与党というのは、当の政治家本人がしっかりしていないと、政治家をだめにするシステムなのではないか?


 まだ謎は解けないが、ともあれ、与党と野党でブログによる発信の度合いにこのような違いが見られるとは、極めて興味深い現象ではある。そしてともかくも、これからの与党はインターネットでの政治活動(特に選挙時における)を全面自由化するなど、時代に合った改革を行なっていただきたいものである。


 

鳩山論文への態度に見るアメリカ人の傲慢さ


 ふだん引用しない読売新聞からまず記事を引用しておきたい。

民主・鳩山氏「米紙論文、反米ではない」


 鳩山代表は31日、党本部で記者団に対し、米国のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された鳩山氏の論文が米国内の一部から批判されていることについて、「決して反米的な考え方を示したものではないことは、論文全体を読んでいただければわかる」と強調した。


 論文は、米国主導のグローバリズム市場原理主義を批判し、アジア中心の経済体制の構築などを主張している。鳩山氏は「寄稿したわけではない。(日本の)雑誌に寄稿したものを、抜粋して載せたものだ」と述べた。論文は日本の月刊誌「Voice」9月号に掲載されたもので、英訳は鳩山事務所で行ったという。同紙関係者は本紙の電話取材に対し、「紙幅に合わせて短縮し、いくつか不明瞭(めいりょう)な単語を変えたが、内容で本質的なことが編集で変えられたことは断じてない」と強調した。
(2009年8月31日22時04分 読売新聞)

 記事のリンクはこちら


 NYTimesの記事は私も読んだが、確かにこれだとアメリカ人に対する批判が強いかなとは思った。そして実際、「米紙に寄稿の「鳩山論文」相次ぎ批判 米国内の専門家ら」などという記事も出てきている(末尾にこの記事のコピーを掲げておく)。


 しかし、言うまでもないが、アメリカ人はもっと批判されなければならない。例えばglobalismに関して言えば、昨年秋のリーマン・ブラザーズの破綻に始まる金融危機は、アメリカ(そしてヨーロッパ)の金融資本の狂奔がもたらしたものではないか。これに対する真摯な反省の声など、聞いたことがない。ふざけるなと言わざるをえない。また、東アジアにいる日本が東アジア諸国との協調関係をこれまで以上に重視するべきなのは当然である。


 加えて指摘しなければならないのは、冒頭で引用した読売新聞の記事に見られるアメリカ人の傲慢さである。つまり彼らは、他人の論文を勝手に縮めておいて、それを何ら恥じるところがない。これを傲慢と呼ばずして何と言おうか。「紙幅に合わせて短縮し、いくつか不明瞭(めいりょう)な単語を変えたが、内容で本質的なことが編集で変えられたことは断じてない」などと言ったとのことだが、何が本質かを決めるのは、文章の形という点から言えば著者であり、内容の理解という点から言えば読者であって、それ以外にはない。記者ごときが勝手に短縮したり単語を変えたりするなどということは、著者に対する冒瀆(ぼうとく)と言ってよい。


 ここで、私が過剰に怒っていると思う向きもあるかもしれないが、そう考えるのは正しくない。実は、欧米人は、非欧米人の著作(特に論説的な著作)に対してはしばしばこういうことをやるのである。そして彼らはそうするのが当然の権利であるかのごとくに思っている。つまり、自分たちのほうが文化的優位に立っていると思っているのであり、ここに見られる傲慢さが、まさに今回の件にも見られるのである。私が鳩山氏なら、当然当の記者・新聞社に対して釈明(否むしろ、謝罪)と、全文掲載とを求めるだろう。それは当然の権利なのである。アメリカ人が日本人をなめていることが今回の件から透けて見えていること、これに対して日本人はもっと怒らなければならない。これは愛国主義の問題ではなく、知的誠実さの問題である。



 上で言及した「米紙に寄稿の「鳩山論文」相次ぎ批判 米国内の専門家ら」という記事は以下のとおり。但し、この記事では鳩山氏が「米紙に寄稿」したとあるが、実際にはそうでなく、冒頭に引用した記事が言うような事情だとのことである。

米紙に寄稿の「鳩山論文」相次ぎ批判 米国内の専門家ら
2009年8月29日3時8分


 【ワシントン=伊藤宏】民主党鳩山代表が27日付の米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)に寄稿した論文をめぐり、米国内に波紋が広がっている。「米国主導」の世界経済の体制を批判的にとらえ、アジア中心の経済・安全保障体制の構築を強調した内容が、米側の目には「現実的でない」と映るようだ。専門家らの間には日米関係の今後に懸念を抱くむきもある。


 鳩山氏は論文のなかで、「冷戦後、日本は米国主導の市場原理主義、グローバリゼーションにさらされ、人間の尊厳が失われている」と指摘。自ら掲げる「友愛」の理念のもと、地域社会の再建や、東アジア地域での通貨統合と恒久的な安全保障の枠組みを作る考えを強調した。


 これに対し、日本政治に詳しい米外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員は27日、朝日新聞の取材に「グローバリゼーションは米国式の資本主義、との批判だが、これはG20における日本の役割にとって、何を意味するのか。民主党政権国際通貨基金IMF)体制の支援から離れて、他の体制を見いだすのか。経済再生の努力から優先順位を移すのか。米ドル体制の支援とは、別な立場をとるのだろうか」と疑問を投げかけた。


 元米政府関係者は「オバマ政権は、(鳩山氏の)論文にある反グローバリゼーション、反アメリカ主義を相手にしないだろう。それだけでなく、この論文は、米政府内の日本担当者が『日本を対アジア政策の中心に据える』といい続けるのを難しくするし、G7の首脳も誰一人として、彼の極端な論理に同意しないだろう。首相になったら、評論家のような考え方は変えるべきだ」と批判した。


 別の元米政府関係者も「グローバリゼーションについての米国への批判は一方的に過ぎるし、日米同盟の重要性に触れたくだりも、非常に少ない。鳩山氏はもっと日米関係に理解のある人だと思っていたが、変わったのだろうか」と話す。


 ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストは、いずれも27日付で、日本の総選挙に関する記事を掲載。いずれも民主党が勝利して政権交代が起きる可能性が高いことを伝える内容で、今回の総選挙に関する米国の関心の高さを示している。


 

或る議員経験者による今回の総選挙評(追記あり)


 備忘のために記すのみだが、元民主党衆議院議員の水島広子氏が今回の総選挙についての感想を述べておられる。考えさせる内容なので、ここに紹介しておく次第。


 追記
 社民党の福島党首のWebサイトにある「ご意見・ご質問」の欄から以下のコメントを送った。

 今回の選挙で保坂展人氏が落選したのは残念でなりません。社民党はもし今後も政党として存在感を保っていこうとするのなら、ああいう有為の士をほったらかしにしておくべきでは断じてないと思います。次期選挙(可能なら、来年の参議院選挙で、比例区上位から)での処遇も含めて、社民党の重要な政治家の一人としてしっかり支えていかれるよう希望してやみません。